普段言われたならば舞い上がるほど嬉しい言葉も、今はただ恐怖を感じる。











「私といないと不安か…」











呟き、溜め息を吐く。
彼女には見えるのだ。私に死相が出ているのを。



戦死が先か病死が先か。
そんなのはわからないが、どちらにしろ私を待つのは死だ。



これほどを自分のものにしたのを後悔したことはなかった。
アカネイア・パレスを目の前にして、死を恐れるなど。
彼女を遺して死ぬのが、こんなに恐いなんて。









を置いて、振り返ることなく私はある場所に向かっていた。
もう時間がなかった。
知らせを受けてノルダを解放してから半日は経っている。もう間に合わないかもしれない。

足早に歩く。
見えてきた貧民街に目を細め、この街の在り方に疑問を抱く。
貴族、商人、貧民、奴隷…この街のいたるところで四種類の人間が見れた。
最高の生活をする者、最低の生活をする者が同じ場所にいるのは、きっとアカネイア・パレスの膝元だからだ。

目下の場を正しく治めるのは、離れた領地を治めるのよりはるかに難しい。
パレスに都合良く動く街…それがノルダだ。











「私だ」

「アラン様」











一軒の寂れた酒場の戸を叩く。
開けられたドアから入り、店奥のドアを目指す。
店内にはならずもののような客が数人と、マリスがいた。向こうも私に気付いたが、特に話し掛けようとしてこなかった。











「…こちらです」











店奥のドアを開け、案内される。その部屋に近付くにつれ、多くの啜り泣きが聞こえてきた。



間に合わなかったか。



ドアを開けると、沢山の貧民がベッドの周囲で泣きながら祈りをあげていた。
全員がゆっくりとこちらを見て、悔やみの礼をする。
私は小さく頷き、ベッドまでの道を開けてもらった。

お世辞にも小綺麗と言えない布団に横たわり、自慢の黒髪をたゆたえて息絶えている彼女。
私に命を捧げた奴隷だった。











「アリティア軍がノルダを解放して下さった時、この方は嬉しそうに笑って…」

「これでノルダも平和になる、そうおっしゃって亡くなられました」

「そうか」











涙は出なかった。
本人が望んだ任務遂行の失敗での死だ。主人の私が泣いたらおかしいだろう。
私の悲しみの分は、ここにいる者達が泣いてくれる。











「私達や奴隷達のために尽力してくださったのに…」

「まさかこんなことになるなんて」











私が現れた事で、貧民たちの啜り泣きは本格的な叫びに変わっていく。
彼女の額に触れて心の中で今までの礼を述べると、そのまま部屋を出た。

再び酒場に戻ると、既にマリスはいなくなっていた。カウンターにいた店主の前に座り酒を頼む。
出された酒は、以前と同じように薄くまずかった。
私は心付けと貧民街では数年暮らしていけるだろう金を渡す。











「彼女を手厚く葬ってやってくれ」

「騎士様、こんなには頂けないです」











店主は額に驚き、突き返してきた。しかしここは引くわけにはいかない。











「彼女は私が葬ってやるべきだが、我が軍は戦闘中だ。それに、私もこの戦いが終わるまで生きていられるかわからない」

「…やはり、病なので?」

「わかるのか」

「同じ様な病の人間を何人も見てきました。すぐわかりましたよ」











店主はそういうと、出した酒を引っ込め、代わりに水を出した。











「騎士様が少しでも永く生きられますよう」











そして祈る。
亡くなった彼女も、よく同じ様な祈りをあげていたのを思い出す。
私を知る者は、もういなくなってしまったな。そして私も、もうすぐこの世からいなくなる。



に会いたくなった。
先程辛く当たってしまったというのに、都合の良いことだ。

も、都合良く我が儘を言っているがな。
くすりと笑う。



どこでも共に居たいと願うが、恥ずかしいことが苦手だからされたくない。



自分のしたいことだけを願うなど、我が儘以外に何と言うのだろうか。
その我が儘も可愛いと思えるほど愛しているが、今許すわけにはいかない。



私達は戦っているのだ。そして守るべき方…マルス王子のために戦わなければならない。
それを理解してほしい。

恋に盲目にならないでほしい。

そう願って先程のように冷たく当たったのだが、不安にもなる。
理解してくれなかったならば…











「いや、それで私達の関係がどうにかなってしまったら、それまでの恋だったのだろう」











呟いて気づく。
私が病の事を話した場合も、同じように考えられるのではないだろうか。

いや、それとこれとでは別だ。

話したくないのは、彼女を不安にしたくないという気持ちがある。
しかし病は治らない。これが原因で彼女が離れて行ってしまうことが恐い。

解決出来ない原因での別離は、修復出来ないからだ。

でもこのまま話さないでいることは出来ない。いつかはも気付くだろう。
とりあえず今は言えるような状態ではない。ハーディンを倒してからだ。それから話そう。



カラン…



店のドアが鳴りそちらを見ると、何度か見たことがある密偵が立っていた。
そうだ、彼女とよく一緒にいた…
そんなことを考えていると、彼は私の前に立ち、次の瞬間床に座り込んだ。











「申し訳ありません!」

「なっ…どうしたのだ?」

「申し訳ありません!」











彼は頭を床にこすりつけ、もう一度謝った。
全く理解出来ない私は、彼の腕を掴み無理矢理立たせる。
いつの間にか酒場の客はいなくなっていたので不都合もない。そのまま理由を聞く事にした。











「何故謝る?」

「姉さんが殺られたの、俺のせいなんですっ…うっ…」











初めて間近で顔を見てわかったが、この密偵は若い。たぶん十代の半ばくらいだろう。











「俺が見つかっちまって、ハーディンに追われたんだ。奴は部下に任せるでなく自分で俺を追い掛けた。奴にとってそれは暇潰しの遊びのようなもんで…」











そうか。それで彼女はこの少年を助けたのか。
自分を姉と呼んで懐く少年を。











「姐さんは俺が隠れたとこで身替わりになって逃げてくれた。たぶんハーディンもわかってたと思う。
でも俺みたいな奴より姐さんみたいな美人を追いかけたくなったみたいだった。ギラギラ光るあいつの赤い目が一瞬だけ俺を見て、そのまま姐さんを追っていった」











少年はぼろぼろと涙を零し、泥だらけの腕でそれを拭った。
しかし涙は止まらず、顔はぐちょりと汚れる。











「追い掛けることに飽きたハーディンは、姐さんに槍を投げたんだ。それを避けようとして転んだところを、捕まえられた。
あとはしたいがままだった。犯し、抵抗すると死ぬほど殴った」

「…お前はそれを見たのか?」











少年はコクンと頷く。











「俺のせいだから。目をそらしちゃいけないって」











私は彼の体を引いて抱きしめた。











「辛かったろう。お前は強い男だ」

「うっ…うわあぁぁん!」











彼は溜まっていた苦しみを吐き出すように叫ぶと、私にしがみついて泣いた。
彼女がなぶられる光景は、十代の少年がみられたものではなかっただろう。











「あいつは姐さんをゴミのようにノルダの前に捨てたんだ。でもまだ生きてた」

「ああ。私達がノルダを解放した時に亡くなったと聞いた」

「そうだ。ずっと、あなたの名前を呼んでたらしい」











鼻を啜りながら言う。
そしてお前は、そんな彼女を好きだったのだろう。
彼の頭をぽんぽんと撫でた。











「仇をとってくれよ…」

「わかった。アリティア軍が仇をとる」











少年は頷くと、胸ポケットからメモを出した。
ぼろぼろのちぎれた紙だったが、大事そうにしているのを見ると重要な情報だとわかった。











「姐さんがノルダで保護されたあと城に戻ったんだ。そこで聞いた」











メモを読むと、そこには聖騎士ミディアの処刑について書かれていた。
彼女はまだ殺されてはいなかった。
アストリアは無表情に強がっているが、ミディアが心配でしょうがなかったろう。いつも遠くに思いを馳せていた。











「最高の情報だ」











懐から金を出すと、少年はそれを押し戻した。











「これは俺の償いなんだ」

「わかった。…お前は強く、良い男になるな」











鼻を擦って笑う少年。酷い光景を見てもまたそこに舞い戻り情報を仕入れてくる。
強く、密偵の中の密偵だ。











「良かったら、今度から俺を使ってくれ。姐さんの代わりに俺が尽くす」











ふと笑い返しもう一度頭を撫でてやると、彼は満足そうに頷き酒場を出て行った。
まだまだ誉められたい年頃だ。密偵なんて仕事はやめるべきだが、力をつければ最高の密偵になるだろう。

私は再び奥の部屋に入ると、冷たくなった彼女の髪を撫でた。
そして布団の中に隠された手を握る。

既に硬直し冷たかった。
その手は傷だらけで痛々しい。きっと体中に無数の傷と打撲の跡があるだろう。











「辛かったろう」











気の利いた労いの言葉も出て来ない。死人に何と声を掛ければいいのかもわからなかった。











「彼女はずっと騎士様の名前を呼んでたよ」











部屋に残ってた女が、椅子を片付けながら言った。











「…ああ」

「その娘は主人である騎士様が好きだったんだね」

「……」











いつからか気付いていた。
しかし彼女は、無防備にしていた時期の私に近付いて来なかった。私の愛が欲しかったのだろう。今ならわかる。
愛がないなら、何もない方を選んだのだ。だから私も追わなかった。











「アカネイアを解放しておくれ。その娘のためにも」

「ああ、必ずそうしよう」











そう言って席を立ち、部屋を出た。ノルダに来るのも最後になるだろう。
彼女が必死に解放しようとした街だ。もう少し目に焼き付けておこう。

貧民街を抜け広場へ向かう。
そこから街を見渡し、マルス王子に情報を届けに戻ろう。








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ごめんなさい、ハーディン!
でも話の流れ的に重要な部分なので(笑)

ハーディンはニーナだけを愛してるけど、
こういうことがあってもおかしくないかなって。



2011/05/26



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