左手を伝うぬるりとした液体が、指先から静かに地面へ落ちた。
それが幾度か繰り返される最中、ミラースは動く方の手で、私の胸を弱々しく押した。
「逃げろ、ソラ」
「いや」
「わかっている。しかし私はもう助からん」
「いや!あなたを助けたいの」
そう言って彼の表情を見ると、安らかな笑みを湛えていた。
助からないってわかってるのに、野望も砕かれたのに、どうしてそんな風に笑えるの。
ミラースの手はゆっくりと私の頬を撫で、それによってついてしまった血を何度も拭う。
「私は救われた。お前に出会って恋を知り、失望も知った。人間らしく育った私でも道を外れたが、それは運命だったのだ。 運命を変えることが出来なくとも、お前に出会った私は出会わなかった私とは大違いだ」
「でも」
「ソラが向けてくれる無条件の愛情に………感謝している」
血を拭っていた手がふわりと離れる。途端、孤独感に襲われて思わずその手を掴んだ。けど、握り返してくることはない。
「ミラース!ダメだよ、戻ってきて!」
どんなに叫んでも、彼が黄泉の国から戻ってくることはない。でも、それでも叫ばずにはいられなかった。
「ミラース!」
「ソラ!」
エドマンドの声がしたと思うと、目の前で剣が振るわれる。その一閃は私の命を狙って放たれた矢を真っ二つにへし折った。
「早く逃げるんだ!今のきみは誰に殺されてもおかしくない」
「ミラースを置いていけない」
「ソラ!彼は死んだんだ!」
「………かったの」
「え?」
「私は彼を助けたかったの」
検討違いな言葉を口にしたと分かってた。
エドマンドなら受け入れてくれると甘えて言ったのも分かってた。
「ソラ、きみは間違いなく彼を救ったはずだ。例え命を救えなかったとしても」
「そんなこと…」
「ミラースの顔を見ろ!苦痛に悶えて死んだ者はそんな安らかな表情をしないよ」
エドマンドに言われて彼を見下ろす。
最後の言葉を言ったあの安らかな笑みのままだった。
「ああ…」
救われたって言ってくれたのは本当だったんだ。
私はあなたの命を助けられなかったけれど。
「無駄じゃなかったんだ」
無理に彼のそばにいたことも、ナルニア人から裏切り者と罵られたことも。ピーターに信じてもらえなかったことも!
「無駄なモノなんてひとつもないさ」
エドマンドは飛んでくる矢を切り捨てながら言う。
いつかアスランに言われた言葉だ。
「悪いことばかりじゃなかったはずだよ」
この場に似つかわしくなくウィンクをするエドマンド。
今回の戦いで彼が私を無条件で信じてくれると知った。
これはとても嬉しいことだ。
「そうだね」
「だろ?」
「……」
「ソラ?」
悲しいことも辛いことも、嬉しいことも…全部必要なことなんだね。無駄なものなんて何一つないんだ。
ナルニアの皆が私を守って死んでしまったことだって、何か意味があるんだ。
そう、私は彼らと約束したんだ。
「ソラ、早く逃げないと」
みんなが私を守ってくれた時に約束したんだ。
「戦わなきゃ」
「ソラ…」
「私も、戦う」
ドレスを引きちぎって動きやすくして、落ちている剣を拾って構えた。
エドマンドはやれやれといった様子何も言わないでくれた。抗議しても仕方ないと判断したんだろう。
私がとても頑固なのをいやというほど知っているんだから。
「僕は、きみがナルニア人に襲われない様に背を守るよ」
冗談ぽく言うと、私に背を預けてくれた。
信頼した仲間だからこそ背を預けることが出来る。
エドマンド、本当にありがとう。
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2014/06/02