シフォンはゆっくりと空を見上げた。
漂う僅かな雲に、自分の思いを乗せてどこまでも流してしまいたいと思った。このままでいられるならば、何もいらないと…何もかも捨ててしまってもいいと思えたのだ。






それが、大切な妹イルハであったとしても。





遺跡船で見上げる空は、ガドリアで見上げる空とは違っていた。同じ空であるはずなのに、こんなにも違うなんて思っていなかった。





彼の心は今、晴れ渡っているのだ。





くすんだ気持ちは心の奥底に押し込めた。爽やかな青年であったとしても、人には闇の部分はいくつかある。彼も自分がその闇を持っている事を自覚していた。だから押し込めたのだ。


好きな女性の前では、輝かしい永遠の騎士でありたいと。


ほんの少し前まで、彼女に自分の気持ちを明かすか迷っていた。しかし、自分と変わらず…いや、それ以上に彼女を愛する青年達を見て、その中で笑顔を振り撒く彼女を見て、それを自分に向けて欲しいと他の青年に向けて欲しくないと思ってしまったのだ。溢れた気持ちや咄嗟に出てしまった言葉を後悔せずにはいられないが、ずっと彼女を思って来た心は本物なのだ。だからこそ、後悔と共にこの晴れ渡る空が自分の胸に存在する。

それに、彼には彼女の心を引き付けずにはいられないものがあった。切り札の様なものだが、それを卑怯だと思う心もある。他の青年は自分らしさで戦っているにも関わらず、自分はその切り札で対抗しているのではないか、それがなくなったら彼女は、自分に見向きもしないのではないか。
その心が、シフォンの持つ影だった。




シフォンは首を振ると、再び空を見上げた。
先程の雲はもう既に遺跡船を過ぎ、海原の遥か上空を漂っている。彼はその雲に自分の奥底の気持ちを乗せると空に流し、ホッと溜め息をついた。

奥底に詰めるよりは流してしまった方が心配ないと言い聞かせると、誰かが笑った気がした。










つらつらと歩を進めては周囲に目を掛ける。騎士としての心得の一つだ。
何が起こっているか、或いは起こりそうか見極める。その上で一歩を踏み出さなければいけない。緊張の解けないものだと思う。

しかしそれは、その星の元に生まれた自分の運命なのだ。
そして彼女に出会ったこと、再び出会えたこともまた、運命なのだ。













今日は珍しくとの約束は入っていなかった。別の約束があって彼女の方を断ったのだ。はゆったりとした笑みで「いってらっしゃい」と送り出してくれたが、内心彼女と離れて不安になっていた。

彼女と過ごせる時間は限られているというのに。









「シフォン兄様」








後ろから呼ばれて振り向くと、昔とは違った女性を思わせる笑みをたたえたクロエが目に入った。
彼女と待ち合わせをしていたシフォンは手を振って迎え、にっこり微笑むと小さな花束を出す。










「シフォン兄様、これは…」

「可愛い妹のクロエにね。」

「あ、ありがとう!」









クロエは恥ずかしそうに受け取ると、きゅっと握りしめた。










「喜んでもらえてよかった。」

「はい…」










顔を赤く染めるクロエの肩に手を添え、シフォンは彼女を守る様に歩き出した。



心の声が違う、と言っている。
確かに違うと思ってクロエを見つめる。

彼女を妹の様に守りたいと思う。しかし、ではない。




彼らはしばらく他愛もないガドリアの話をすると、の話題に移っていった。
シフォンとクロエの持つ彼女の話は噛み合うことがないので、共通な話題としては途切れにくい。それをいいことに、シフォンはのあらゆる事を聞いた。









は頑固だ。でも、それがらしくて好きなんだ。私は何回も彼女に助けられて来た。シフォン兄様もそうなのですか?」









クロエは現在の勇ましい話し方と、以前の女の子らしい話し方を混ぜて話す。シフォンは内心不思議に思いながらも、気にしないように返答した。









「私も彼女には助けられたよ。気持ちも命もね。

でも、私達がクルザンドを去ったあの後、仲の良かったとヴァーツラフ王子の間にあんな事が起こるなんて…」








かつてのあの二人からは想像出来ない事だった。あんなにお互いを愛おしみ必要としている兄妹は、自分達以外に見た事はなかったのだ。
シフォンは初めてと話したパーティーの後、何度か街を楽しそうに連れ立つ二人を見ていた。


兄妹と知らなければ、恋人に見えたかもしれない。










「…シフォン兄様はあの二人の仲の良さを知っているんですね。」

「ああ、私とイルハのような…互いを必要とし愛する存在だったと思う。」









クロエはしばしヴァーツラフの言動との兄への愛を思い出した。
ただの兄妹だったならば、お互いを信じて命をかけるなど出来ないだろう。









「そう…かもしれない。よく考えれば、誰でもわかったんだ。二人の愛は…」









クロエは深く溜め息を吐いた。
その溜め息を不思議に思ったシフォンは、問う様にクロエを見つめる。





確か、ヴァーツラフ王子を葬ったのは妹のだ。クロエが何故溜め息をつく?




クロエは彼の視線に気付くと、観念したように苦笑した。










「私達はあの時、を信じられなくなってしまったんだ。」

「…?」









意味がわからず、再び視線で問う。するとクロエは真面目な表情で言った。










「私達は、を遠ざけた。」

「!!!」








言われて気付く。クロエが言ったのは、彼らが一度仲たがいをしたということ。
仲間だからといって、目の前で肉親を殺す様な者と通じ合える方が稀なのだ。







シフォンはガドリアで大体の情報は耳に入れていた。
クルザンドの第三王子ヴァーツラフが遺跡船を狙い、水の民を襲い、その命を使ってガドリアを討とうとしていた事。自分も水の民の力の前に大破する空割山を目の当たりにした。
そしてそれが、クルザンドの妹姫によって阻止されたことも。


最初、が兄を殺したなんて信じる事が出来なかった。あんなに仲が良かったのにどうしてという気持ちがあったからだ。
しかし、よくよく思い出せばその兆候は見えていた。ヴァーツラフ王子は二年も遺跡船に姿を消して戻って来たのだ。愛する妹姫を国に残して。


その後に仲間との仲たがいがあったことは報告にはなかった。些細な事と黙認されたか、密偵が気付かなかったのだろう。








「あの時から、ワルターはの傍にいるようになった。」








クロエは笑った。









「彼だけなんです。まあ、色々あったけれど…心はと共にいる。」

「ワルター君が…?」








胸がちくりと痛む。
ただでさえ彼女と一緒に住んでいるというのに、心まで共にあるとは。









「私もよくは知りません。あの二人とシャーリィ…クーリッジの妹ですが、遥か昔の縁繋がりだそうです。特にとワルターは、その記憶も共用している様で

……シフォン兄様?」









血の味がした。気が付くと唇を噛み締め、自分が醜くもやきもちという感情をあらわにしているのに気付く。










「どうされましたか?」









心配そうに見つめているクロエは、シフォンの醜さに気付いていないようだった










「大丈夫だよ。」

「はい。」










シフォンはゆっくりと瞳を閉じると、闇を捨て去ろうと必死になった。出した醜さは表面的なものだったらしく、今度はすぐに捨て去る事が出来た。










「私達が彼女を遠ざけた後、ガドリアと水の民の闘争があり、そこで私達はまたと行動を共にすることになりました。あの時期、は本当に辛かったかもしれない。でも…」









クロエは言葉を切って花束を見つめた。









にとって一番辛かったのは、今も昔も…兄であるヴァーツラフを葬った時だと思います。」









クロエの絞り出す様な声がとても印象的だった。
シフォンは彼女の肩に手を乗せ、ぽんぽんと叩く。









「そう…だろうね。本当に仲が良かったのだから。」









二年程前を思い出す。
クルザンド特有の暑い空気。その中で青年達の熱気に囲まれ、まだ自分の力で何とかなると思っていた。戦争だって、なくせると思ってあの騒ぎを起こした。しかし、自分の力とは何とちっぽけなものなのかを嫌という程思い知らされた。



そして、その様な事にを巻き込んだのは他ならぬ自分だ。



彼女がクルザンドを出なければいけなかったのも、兄を殺さなければいけない状況に陥ったのも…強いては彼女の運命が変わってしまったのも、自分のせいかも知れない。









「シフォン兄様?」









再びクロエに呼ばれ、自分の世界に入ってしまっていたのに気付く。シフォンは目を瞑ると、一息ついた。
そして呟く。











「彼女の運命が変わってしまったのは、私のせいかもしれない。」

「それは違うと思います。」










呟きをきっぱりと否定され、シフォンは驚きを覚えた。
そんな彼を気にすることなくクロエは言葉を続ける。










には定められた道がある。それは私にも誰も変わってあげられない…。」

「定められた…道?」










クロエは頷くと、空を見上げた。










はきっと、今この世界で1番重要な人だと、私は思います。」

「クロエ…」










シフォンは何も答えられなかった。



信じたくない話ではあるし、この世界で一番重要な人など信憑性がない。
しかし、それも祖国の情報として聞き及んでいた。




クルザンド王統国の王女は重要な人物。




ガドリアで流れた情報…それは。









「あ、変な話をしてしまいました。」









クロエは自らの口を抑えると、焦っていた。
なぜならば、昔の馴染みでぺらぺらと話してしまったが、本当は他人に話すような事ではなかった事に気付いたからだ。ましてやの命がガドリアに狙われている今は特に。










「今の話は忘れてください。」









クロエは何もなかったように言うと、違う話題へ移る。










「そう言えば、が兄様のレイピア捌きを褒めていた。剣技なのに美しく舞うって。」










シフォンも話を変えるのに異存はなかったので、自然と振る舞う。










「ああ、本当かい?では後で御礼を言わないと。」

「はは。ウェレンツ家は昔からレイピアに強かった。兄様は尊敬している騎士はいるのですか?」

「尊敬してる騎士…?うーん、一人いるな…」










シフォンは少し悩むとそう言う。クロエの興味はその騎士とやらに向いていく。










「ガドリアの人ですか?」

「あはは、内緒だよ。

あ、あそこにヴァイシス様がいるよ。」

「そんな事言われても信じませんよ。」










シフォンはクロエの後ろを指差した。しかしクロエはそれが彼の誤魔化しだと思ったのか信じない。










「本当だって、ほら。」










シフォンはクロエの体を半転させた。
彼女は視界にヴァイシスが入った途端に顔が赤くする。




そんな初なところが可愛いと思いつつ、シフォンはヴァイシスやセネル、ワルターの口に、自分の名が出るのを見逃さなかった。


















































顔中に驚きを表したセネルと不満を表したワルターを従えたヴァイシスは、複雑な表情で立ち止まった。
そして振り向いた時には、明るい表情に戻っている。











「一体何なんだ?」

「まあ、たまにはいいじゃん。」

「何故俺も貴様らの中に入らねばならん?」

「うるさい!金髪は黙っとけ!」












セネルには軽く接し、ワルターには辛く当たる。ヴァイシスは相変わらずワルターには冷たい。しかしワルターはそれを面白がっている様で、気にしている様子はなかった。
きっと、ヴァイシスもわかってやっているのだろう。











「いい加減仲良くしろよ。」

「いやだね。」
「遠慮する。」











セネルは彼らの間で溜め息を吐いた。
セネルとワルターを連れ出したのはヴァイシスだ。たまにはいいじゃんなど、そんなことを言っても何か用があるのだろう。セネルはヴァイシスからは噛み付かれ、ワルターからは睨まれたがやっとのことで二人を宥め、真意を聞き出そうとした。










「え、二人を連れ出した理由?何、そんな事聞きたいの?」

「一番気になるだろそれ。普通このメンバーありえないし。」

「ふ〜ん、金髪は?」










ヴァイシスはニヤニヤしながら言う。完全に自分がイニシアチブを取ったつもりだ。










「どうせ、関係だろう?」









しかしそんな気分を壊すかの様にワルターが言う。









「俺とセネルの言葉が気になったんだろう?」

「…むぐぐぐ…」









図星だった様で、ヴァイシスは完全にワルターに負けた。彼は悔しそうに歯ぎしりすると、ワルターを睨む。











「そうだよっ!セネルと金髪だけがの変化に気付いてるから連れ出したんだ。」

「そうだったのか。」










ヴァイシスは単純なセネルに癒され、彼をを抱きしめるとワルターを再び睨む。










「俺がいない間に、はどうなっちゃったんだよ!

俺のがクルザンドのに、クルザンドのが遺跡船のになってる!!

一体どうなってるんだよ!セネル!金髪!」










ヴァイシスは可哀相なくらいセネルの肩を前後に揺らした。やっと開放されたセネルは、くらくらするのかしゃがみ込んでしまう。










「貴様がいないうちに進んだだけだ。」










ワルターはいい気味だと言わんばかりにセネルを見下ろしながら言った。










「なんだと?!」

「この前来た時に、それに気付かなかったわけでもないだろう?」










ヴァイシスはますます機嫌を悪くしたが、またも図星だったのか言葉に詰まる。











「う……。確かに金髪の言う通りだ。はこの前からおかしかったよ。

天然のくせに人の気持ちを察するのはうまかったけど、今はわかっちゃうって言葉が正しいくらい相手の気持ちを察してるみたいだ。」

「ああ…」










の変化は刻一刻と進んでいる。鋭い者ならすぐに気付くだろう。
セネルはきょとんとしていたが、思い出したかの様に言う。











は段々、人離れしてきてるよな。ヴァイシス、は神様にでもなるのか?」

「俺が聞きたいよ…」










ヴァイシスは泣き言を呟くと、大きく息を吐いた。















「何はともかく、今はシフォンだな。」

「シフォンは良い奴だけど、何か企んでいるかもしれないしな。」

「シフォンか…」














ヴァイシスとセネル、ワルターが口々にシフォンの名を呟く。
これからがわからない以上、目の前にある出来事から対処しなければならない。しかしこの三人には、シフォンをどうすれば良いかなどわからなかった。
ただ、どうにかしなければいけないのはわかる。











「どうにか…」

「君達。」











その時、後ろから爽やかな声に呼び止められ三人とも振り向く。すると話題のシフォンに話しかけられたとわかって、ヴァイシスとセネルは飛び上がり、ワルターの瞳はいつもより数ミリ大きく開いた。










「シフォン!とクロエ殿!!!」









ヴァイシスはシフォンの横にちょこんと立つクロエを見つけ、今までと一転明るい笑顔になった。
しかし、









「クロエ殿、その花束は!!!」









目敏くシフォンが彼女に渡した花束に気付くと、慌てふためいた。










「私があげたんです。可愛い妹のクロエに。」

「妹…そ、そっか。コホン。」









彼は妙な咳をして話しを区切ると、再び雰囲気を切り替えた。










「二人は散歩かい?」

「ああ。ヴァイシス殿達は…?珍しい組み合わせみたいだけど…。」

「俺達は会議。」

「会議?」

「な、セネル!金髪!」










ヴァイシスは他の二人に同意を求めたが返事はない。それどころか、二人ともシフォンを見つめていた。
ヴァイシスはバツが悪そうに二人を睨むが、止める様子はない。




緩やかな笑顔でその視線を受け止めるシフォン。
ヴァイシスは、やはり誰かに似ていると思った。







シフォンは、こんな優しい顔をして何を考えているんだろうか。

到底検討もつかない。










「二人とも、私の顔に何か…」

「いや…」









シフォンににこりと微笑み掛けられ、セネルは彼から視線を外した。しかしワルターは見つめたままだ。








「……?」







セネルはワルターを見て気付いた。
彼がシフォンに送る視線は、いつも自分達を見るような鋭い目つきではなく、そうなんというか…同情の眼差しのようだった。








ワルター…?








彼の不可思議な視線の意味はセネルにはわからない。ただ、ワルターはに似て来たのではないかと思えた。










「…貴様、何を企んでいる?」

「ワルター!?」









彼の視線とは打って変わった挑戦的な物言いにセネルは驚いた。しかしよくよく考えれば、この物言いはワルターなのだからしょうがないと理解する。











「企む…?」

「ワルター、失礼だぞ!」










クロエがシフォンとワルター間に入ろうとしたが、シフォンがそれを止める。










「それは、私がガドリアの者だからかな?」

「…そうでもある。」

「そうでも?

…私は、といたいだけだよ。彼女は、私が心から愛する女性なんだ。」









シフォンはにっこりと笑むと、ワルターを見据えた。









「愛する人と共にありたいと思うのは、おかしな事だろうか?」

「……いや」









ワルターはシフォンの言葉に食い下がると、他の者を気にすることなく踵を返した。










「おい、ワルター!」

「金髪!待てよ!

すまなかった、シフォン。」









ワルターを追うようにセネルとヴァイシスが去る。
隣で自分の発言に顔を真っ赤にしているクロエをよそに、シフォンはずっと彼らの消えた方を見つめていた。











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謎が深まるシフォン。
ヒロイン編なのにヒロイン登場しません(笑)
セネルとワルターとヴァイシス、本人達はありえないメンバーと言ってますが、
ほしのき的には名コンビかと(笑)

2007/11/12 (訂正)2008/01/17〜20





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