長い廊下を化粧着で歩く。装飾を施された柱に手を添え、小さな明かりを頼りにしながら一心に歩く。
シルクの化粧着はさらさらと揺れ、肌にひんやりとした冷たさを齎す。それを払うとパチパチと静電気が起こり、足に纏わりついた。
「様。」
呼ばれて振り向くと、そこにはすらっと背の高い水色の髪の青年。
彼はヴァーツラフ兄様の副官。
「こんなに遅く…薄着で。風邪をひかれますよ。」
優しく微笑む姿は爽やかで、女性達に黄色い声で叫ばれるのもおかしくはないと思った。
「さぁ、王子が戻られるまでの間、ココアなどいかがですか?」
私はその手に引かれ、彼の部屋へを入っていく。
子供心ながら、彼の指にたくさんの肉刺が出来ていたのに気付いていた。
戦う事が嫌いな彼だったけれど……きっと、いつかは戦わなければいけないという事をわかっていたのだろうと思った。
くすくすくす……
「何故、笑うのです?」
ある昼下がり、バルコニーでふてくされていた私を慰めるように甘いものを持ってきてくれた彼が、私の顔を見て笑った。
そんなに笑われたら、もっと機嫌を損ねると思ってもいいだろうに。
「いえ…その膨れたお顔が可愛らしくて…」
失礼だと思ったけれども、可愛らしいなんて言われたら許してしまいそうになるわ。
「……毎日…」
「?」
「私への当て付けの様にダイコンが食事に含まれているのよ?食事の時間が恐くてしょうがないの。」
くすくすくすくす……
この後彼は、病気にでもなったかのように笑い続けていたわね。
本当に、失礼だと思わない?
「私も13歳の時…初陣でしたか、その時にたくさんのガドリアの人を殺しました。この手であまりにも多くの人を切ったため、最後の方には人を殺すという感覚もなくなっていました。」
あの戦いの前夜、私達が未来を約束した夜。彼の腕に抱かれながらその言葉を聞いていた。
同じだと思った。あの時は私も13歳の初陣で、たくさんの人を殺した日だった。
殺らないと殺られる。その思いに支配され、自分の命のためにたくさんの人の命を奪った。
剣をはためかせ、ものを斬る様に人の肉を切った。
「後悔したのは、全てが終わってからでした。自分の通った道を振り返ると、たくさんの死体が山のようにありました。それを目の当りにして狂ったように叫びましたが、誰も助けてはくれなかった。……私はあくる日もそのまたあくる日も、後悔に苛まれながらも自分の命を守るためだけに戦いました。」
懺悔するように彼は俯くと、私をきつく抱きしめてその顔を私の肩に埋めた。そしてぶるりと身を震わせると、息を吐く。
「私はきっと、その時に心を壊してしまったのかもしれないのです。今まであった『犠牲者』の素質を失ってしまった。そして鬼神と称えられたその名と戦いから身を遠ざけ、今の今までヴァーツラフ王子の影でぬくぬくと過ごしてきたのです。大切な姉や、王子の心を犠牲にしてまで。」
彼の爪が背に食い込んだ。でもそれは不思議と痛みを感じなかった。私は震える背中にゆっくりと手を回すと、優しく撫でる。
「ずっとそれを、一人で抱え込んでいたの?」
私の言葉に彼は答えることも頷く事もしなかった。でもわかったの、その闇に彼は耐え忍んできた。
「それでは、私達の幸せはたくさんの人の犠牲の上にある忌まわしいものだわ。」
「!!そんなことは…」
くすりと笑うと、私は彼を抱きしめた。
私を救うために戦いに来てくれた彼。私は救われるだけではないの、貴方を救えるのよ。
「この幸せが忌まわしきものだとしても……私は貴方と共に幸せになりたい。戦いのない場所で平和に過ごしたい。」
「様……」
「過ぎてしまったことは後悔しか出来ないわ。過去を変えることは出来ない。でも、これからは変えていけるじゃない。私、たくさんの命を奪ったことは忘れないわ。この後悔も忘れない。でも、貴方と一緒なら幸せになれます。」
さっきまで倒れて、思い切り泣いていたはずなのに、私の心はその時澄んでいた。その幸せが確信に変わったとき、私は強くなれたのだと感じた。
この後どんなことが起ころうとも、立ち向かっていけそうな気がしたの。
二人ならば。
「そうですね。貴女と二人なら恐くはありません。」
目を細めて微笑むと、ゆっくりと近づいてくるその顔。
私は目を閉じて待ったわ。その幸せを。
その時あった、確かな幸せを。
下りてくる温かな唇に触れ、境を少し開けると入り込んでくるざらりとしたぬめり。それに自分のものを絡ませて弄ぶ。
初めてだったけれども、自分ではうまく出来たと思った方よ。本当。
そのまま、求めるようにどちらからも問わずきつく抱きしめ朝を迎える。
あの日の朝を。
ふと瞳を開けると、眩しさに目が眩む。ごしごしと擦ってみると、慣れてきたのか周囲が見えてきた。
いつもの部屋の電気が煌々としていた。しかし窓に目をやると外は暗く、自分が夜になるまでずっと寝ていたことに気付いた。
「いやだわ、疲れているのかしら。」
ベッドから足を下ろしてブーツを履くと、立ち上がって背伸びをした。
ぽきぽきと鳴る間接を伸ばすと、体が軽くなった気がする。
「懐かしい夢を見たわ。」
今まで見ていたものが夢だったのだと思うと、少し寂しさを感じた。
あの頃の辛さと苦労を思い出したが、幸せもあったのだ。そう思うと寂しく思ってしまった。
「どうして、こんな夢を……あ……」
彼の事を思い出してああそうかと気付く。
似ていたんだ、彼に。だから思い出した。
「シフォンは、サジェに似ているのだわ。」
シフォンに初めて出会った時もそう感じたことを思い出す。考えてみれば、持っている雰囲気と爽やかさ。そして微笑みと喋り方などは瓜二つだ。
「いやだわ、私ったら。」
ヴァイシスが私の事、『面食い』だと言った事は本当だと思う。
サジェもシフォンも好青年だもの。外見も中身も。
は布団の裾を直すと、部屋を見回した。まだワルターは帰宅していない。
外も暗くなってから一時も経っていないようなので散歩に出る事にした。
思い返せば、今日は部屋から一歩も出ていないことに気付いたのだ。
行くあてもなくふらりと歩くと、街の灯火が暖かかった。
夕飯の時間なのか、ふんわりとシチューの匂いが鼻腔をくすぐる。ぐうとお腹を鳴らせば、何も食べていなかったことに気付いた。
「パン屋さん、まだ閉まってないかしら。」
向かう場所が出来たので早足になる。家々から香る夕飯の匂いは、のお腹を鳴らせるばかりだった。
閉まりかけたパン屋に無理を言って入り、売れ残っていたパンを取ると店主に「もう終いだから御代はいらないよ」と言われた。申し訳ないと言って支払うが、手を開かされて戻されてしまう。
「でも……。」
「いいよ、ちゃん。あんたは常連さんだからサービスだよ。」
「まあ……ありがとうございます。」
お礼を言って受け取ると、心にほっこりとしたものが生まれた。
パンとそれを大事そうに抱きしめ、は歩き出す。
ぐう
何処かで座って食べようと思ったが、お腹は待ってはくれないようだ。目の前にあるパンを、よこせよこせとぐうぐう鳴らす。
は他人事のように笑うと、行儀悪いが歩きながら食べだした。
「おいしい…」
染み渡る香ばしさがお腹を満たす。そしてもちもちと食べ応えがあって、腹はすぐに満たされた。
「星が見たいわね。」
立ち止まって空を見上げると、そこにはキラキラと光るいく千もの星。いつもはこんなに輝いているか疑いたくなる程の多さだ。
ゆっくりと見上げていられそうな場所を考えると、灯台の広場が思い当たった。山賊たちに見つからないようにしなければ、ゆっくり見れない場所だが。
「夜空の星々が綺麗…」
灯台横の草むらに寝っ転がって空を見上げる。先程よりももっと輝きが増したかのように見受けられる。
手を伸ばしたら届きそうだと思い、伸ばして掴もうとするが空を掴むだけ。は笑うと腕を下ろした。
シフォンも見ているのかしら。
は思った。あの人も、同じ空を見ているのかと。遺跡船というこんなにも近い場所にいるにも関わらず。
キラキラと光る星が人を見下ろして何を考えているのだろうと思ってしまう。
証明されているには、星達が考えるなんてそんな事絶対に有り得ないのだけれども。
「あの星々はあんなに小さいけれども、本当は私達人よりも大きいのよね。」
はあ。
溜め息が出てしまう。
自分はこんなにちっぽけなのに、どうして皆と違う運命を担っているのだろう。
グリューネにでも聞いてみようかしら。
…と言っても記憶のない今のグリューネでは、「そうねぇ………あら?何だったかしらぁ?」で話が終わってしまうのが関の山だろう。
はあ。
は再び溜め息を吐くと、夜空を見上げた。
星々は一人一人一生懸命生きている自分達、人みたいだった。
一つ一つが懸命に輝いている。
あの、一番輝いている星は誰かしら?
セネル、ヴァイシス?
きっとどちらかでしょうね。
あの恥ずかしそうに輝いているのはクロエね。
輝く星に寄り添うのはシャーリィかしら。
「あ、あの脇で薄く光っているのはワルターだわ。」
「悪かったな。」
半ば馬鹿にしたような笑いを起こしたところで、後ろからワルターの声が聞こえて驚く。
声のした方を見ようと寝っ転がりながら後ろを向こうと試行錯誤していると、視界を彼の顔が覆った。
「ワルター、聞いていたの?」
「丁度あの薄い星を俺に例えたのが聞こえた。」
相変わらずタイミングが悪いと思いながら、くすりと笑ってしまう。
「。」
「ふふ、ごめんなさい。」
ワルターはふて腐れながら横に座った。
「お前の星はどれだ?」
彼は同じ様に空を見上げて言う。
透き通った彼の白い肌が、夜空に溶け込んで美しい。
「私のは、ないの。」
「ない?何故だ?」
わからないと言うと、ワルターは困惑してを見つめる。
眉間に皺が寄るがいつもの恐い顔ではない。
ワルターはふと空を見上げると、一つの星を指差した。
それは、が最初にセネルかヴァイシスと表した一番光る星。
「はあれだ。」
「私があんなに光るわけないわ。」
「いや、あれだ。」
「違う、違います。」
「違わない。」
ワルターは頑なに言って退けると、微かに笑う。
目を細めて優しく笑うその表情が、は好きだと思った。
「世界を見守る者。」
そんな事思っていたのにも関わらず、彼の口から嫌な言葉が出て来るとは気分を害す。
そして、ワルターに非難の目を向けた。
「そんな言葉、聞きたくないわ。」
「逃げるのか?」
「逃げる、逃げないじゃないの。私、その言葉の意味もわからないのにそんな運命背負って…。わからないのに逃げるわけにも逃げないわけにもいかないでしょう?」
少し八つ当たりだと思ったが、ワルターが何も言わないのでは気にしないことにした。それどころか、彼は私の話を聞くぞという体勢をとっている。
それが嬉しく、しかし申し訳なくて…とてもではないが、自分の中で渦巻く気持ちを話すことは出来なかった。
しばらく黙っていると、ワルターはが話さないだろうと判断したのか自ら口を開く。
「シフォンが気になるのか?」
「話の脈絡がないわ。」
何を聞くのかと思えばシフォンのこと。は呆れた様子で返答した。
しかし彼はこの話を続けるつもりのようだ。
「お前が何も話さないからだ。」
あくまで彼は、のせいにして続ける。
「……ええ。
…気に…なるわ。」
「そうか。」
観念して答えてみれば「そうか」の一言。そして話は止まってしまったのだが、ワルターは自分の言葉を待っているのがわかった。
の思いを…そして考えを。
シフォンのことなら話せると思った。
世界を見守る者の話をするよりも、きっとちっぽけなことだろうから。
「わからないの、気になるの。
シフォンは、私に何かしようと…或いはされようとしているみたいな気がするの。だから、どうしても一緒にいたいと思ってしまう。」
「……ああ。」
自分の話にも脈絡がないと思う。思った事を並べて言葉にしているだけだ。しかし、こんな事を誰かに話す機会などそうはない。ましてやワルターなどには。
「私は今、シフォンを求めてるの。」
それを言った時、の心は軽くなった気がした。ずっとシフォンと過ごし、どうしてだろう、どうしてシフォンといたいのだろうと思い続けてきたからだ。
しかし今、その気持ちを理解した気がした。
「私の本能が、彼を求めているの。」
本能が求めている。だから本当の理由などわかりはしないと理解したのだ。
自らの奥底にあるものが、シフォンを求めているのだ。
「……そうか。」
彼は無表情でそう言った。どんな顔をされてしまうのか気になったが、無表情でよかったと思う。
「でもね、この気持ちがシャーリィやノーマが言うような恋なのかはわからないの…」
「恋…?」
の言葉にワルターは少し驚いた風だった。体を浮かし、彼女を見たからだ。
しかしすぐに力を抜くと、空を見上げた。
「ええ。彼女達は私がシフォンに恋してると言っていたわ。でも、恋って何?好きって何なの?」
は食い入るようにワルターを見つめた。彼はその視線と質問に対応しあぐねているようだ。
私だって昔、恋だと思うこともあったし、好きになった事もある。
でも、今は全然わからなくなってしまったのよ。
「ワルターは知っているの?ワルターは誰かに恋をしているの?」
勢い余って聞いてしまったと思った。あっと気付いた時には遅く、既に口から言葉として発した後である。がワルターを見上げると、彼は口を閉じて目を見開いていた。
その表情は、相当驚いた風だった。
「………そう…だな。」
彼は少し戸惑った後、の好きなあの微かな笑みを見せる。
その途端、の頭はピンと来た。
好きな人いるのだわ…。
少し残念な気がするのは気のせいだろうか。は胸を押さえると、ワルターを見つめる。
すると、ワルターは目を逸らして空を見上げた。そして答える。
「俺にもはっきりした事は言えない…が、一緒にいたいと思うのではないか?」
は最初、彼が何と言ったか理解できなかった。理解できないというか、ワルターの言葉だと信じられなかったのだ。
ワルターが答えてくれるなんて思わなかった、と口をぽかんと開けるが、慌てて押さえて身を乗り出す。
彼はその勢いに少し後ずさった。
「一緒にいたい…?じゃあ、私はシフォンに恋をしているの?」
「それは俺にはわからない。そういう気持ちもあるのではないかと思っただけだ。」
「……ワルターも、好きな人と一緒にいたいのではないの?」
「…それはな…」
また、笑った。
そんな気持ちを持っている女性がいるのにと思うと私、いたたまれないわ。
「じゃあ、前話したように私部屋から出て…」
「…いや、駄目だ。」
彼に申し訳なく思い、は提案する。
ワルターがそんな思っている人がいるならば、自分は一緒に居てはいけないのだろう。
「でも…」
ワルターは再び夜空を見上げる。そして少し怒ったように、
「メルネスとの約束だからな。」
と言った。
そう言われてしまえばには何も言えなかった。大昔のあの娘との約束。
が口を出せるほど軽々しいものではない。
「ワルター…。
ええ、ありがとう。」
は謹んで彼の言葉を受け取ると、何故か胸がホッとした。
まるで、自分はワルターから離れたくない様だとも思う。
「それに、お前と一緒に住んでいるのは俺の特権だ。」
ワルターはまた笑った。
「特権?」
「ああ。」
ワルターはよく笑うようになったと思う。それはとても嬉しく感じた。彼が笑うと、落ち込んだの気持ちも軽くなる気がしたからだ。
とワルターは他人ではあるが、心のどこかで繋がっているのかもしれない。
「で、いつまでここにいるつもりだ?」
「もう帰るところよ。」
は立ち上がると、背と尻についた草を払う。
届かないところはワルターにも払ってもらった。
「いつまでもこんなところにいると、山賊の奴らに見つかる。」
「ふふ、そうね。見つかったら帰れなくなってしまうわ。」
「そうしたら徹夜になるぞ。」
「徹夜で酒盛り!
ふふ、早く帰らなきゃ。」
ワルターは何も言わずにデルクェスを出すと、右手を差し出した。はいつもと変わらずそこに手を乗せると、ワルターの腰に手を回す。
ワルターもの腰に手を回すと、ぎゅと力を込めた。
それはいつもより優しく、強い包容だった。
***********
ワルターにあそこまで言わせて彼の気持ちに気付かないヒロインは、ある意味人間離れしてます(笑)
2007/11/13
過去と現在。シフォンの存在によってヒロインの中では入り組んでしまっています^^
(訂正)2008/01/21
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