「ねえ、シフォン。」

「何ですか?」








は自分の頭を彼の肩にゆっくりと乗せた。そしてもぞもぞと心地良い場所を探ると、彼の鎖骨に引っ掛けるような形で収まる。
彼女は目をつぶると幸せそうに溜め息を吐いた。

そんな彼女を見ているだけで、シフォンは一生分の幸せを感じていた。見ているだけでも幸せなのに、こうしてそばにいて、触れる事が出来るのだ。








、続きの言葉がないですよ。」

「あら、そうね…ごめんなさい。でも続きはないのよ。」

「呼んだだけ、ですか?」








自分ににっこりと微笑み掛ける姿は、いつもの大人びた姿とは掛け離れて、可愛らしかった。

ふと彼女の足の上に放り出された手に目を留めた。何か待ち望んでいるように見えたのは、自信過剰なのか。自分を少し嘲ると、本能のままその手を握った。








「シフォン?」

「ああ…すみません。でも、何かを待っている様に見えたので。」








きゅと握ると体温が戻ってきたその手は、ぴくりと小さく反応した。
でもそれは嫌そうな動きではなく寧ろ…








「嬉しい。」







彼女の言葉通りの反応だった。




































「ふっ…ん…」








口付けると、ふっくらとしたピンク色の唇は吸い付く様に自分の唇に張り付いた。それを唾液で満たし緩やかに動くようにしてやると、自分の唇を滑らかに這う。それを追って舌を出すと、待ってましたかの様に絡み付き離さない。
シフォンにはわかった。はキスが好きなのだと。

先日初めてキスした時にぎこちなく感じた彼女のキスは、殆ど経験がない事を物語っていた。キスの経験が多いか少ないか等はわからないが、シフォンはきっとそうだろうと思った。
彼女は今も昔も、付き合っただろう男性は一人しかいない。それも、彼と過ごしたのはたった半日だったはずだ。








「んっ…」








は苦しそうにすると、ゆっくりと唇を離す。そして息継ぎを微かにして、再び吸い付いてきた。

もう数え切れないほどキスをしたので、の動きは洗練された滑らかさと、底に秘めていた妖艶さを帯びていた。応えずにはいられないそのキスを、唇の皮が無くなってしまうかの如く受け入れていた。








「ぁ…ぅん…」








シフォンは彼女の声を聞き、クスクスと笑いながら唇を離した。








「?」

「そんな、そそる様な声を出さないでください。」

「え…そそる……っっ!!」








は顔を真っ赤にして逸らした。そしてあわあわと慌てると、真っ赤な顔を両手で覆う。









「ご、ごめんなさい。今度からは無言になる様努めるわ。」









そんな言い方をする彼女の事だ、本当に無言になるかもしれない。
それも残念だと感じたシフォンは、「今の方が嬉しいですよ」と小さく囁いた。



































「今日は、ワルター君を呼びました。私達の事を話そうと思いまして。」









勝手に段取りをし、が不快なったら嫌だと思いつつ、話す事を嫌がられたら立ち直れないとも思ったシフォンは、自分でワルターを呼んでしまった。何故彼に話そうと思ったかは、彼がと一緒に住んでいるからだった。








「そうね。話した方がいいわ。」







全く不快という表情もなく納得する彼女に、シフォンはホッとした。







「他の皆に話しては駄目なの?」







がこんな事を聞いてきたことに驚くシフォンは、初めて彼女がこんな風だったのかと気付く。

は、キスが好きで話したがりな普通の女の子なんだ。








「話したければ。」








シフォンは思わずほころんだ。

































「用があるのか?」









しばらく経つと、ワルターがやってきた。珍しく徒歩で、それもノーマ付きで。









ちゃん、シフォシフォ?」








ノーマは何が何だかわからないと言う顔で、目をくりくりと動かしていた。しかし隣のワルターは何もかも知っているような澄ました顔だ。








「こんにちは、ノーマ。」

「あ、うん。」







ただならぬ空気を悟ったのか、ノーマの口数は少ない。彼女はを見て、シフォンを見た。








「勝手に着いてきた。すまない。」

「いや、いいよ。」








ワルターが謝ったのは不思議だったが、は何も言わない事にした。きっと、シフォンは全部自分で言いたいだろうと思ったからだ。








「私達は、恋人同士になったんだ。」








シフォンの言葉に、ワルターはぴくりと反応した。しかしその微かな反応はノーマのリアクションに掻き消されてが気付く事はなかった。








「ちょっ……それ……」







ノーマは「本当?」と聞きそうになってやめた。聞く前に核心したのだ。とシフォンの手は、固く握り締められていたから。







「本当なの。」







が追い打ちを掛ける様に言った。







「でも…」







ワルターをちらりと見たが、彼の表情はいつもと変わらなかった。ノーマはすぐ逸らすと、口を開く。







「ううん、おめでと!仲良くね〜。」







そう言ってやると、が嬉しそうに笑った。そしてシフォンも目を細めて微笑む。








「ありがとう、ノーマさん。」

「いや〜、あたしはちゃんが幸せなら〜…」

「行くぞ。」








ワルターは何も言わずに二人に背を向けた。








「ちょっとワルちん!あたし勝手に着いて来ただけなのに…」








ノーマは文句を言いながらも慌てて追い掛ける。
シフォンはの手を離す事なく踏み出し、ワルターを追う様に声を掛けた。








「これからも、を宜しく頼みます。」








ワルターは立ち止まると、振り返ることなく「ああ」と言った。







































チチチと鳴く小鳥の声を聞きながら、二人してぼけっと座っていた。
木々に生い茂る葉はさらさらと擦れ、簡素な鈴の音を鳴らしているようだ。シフォンはの肩に手を回し、彼女の体を引き寄せた。はこれでもかというくらい、シフォンの体と重なる。








「ワルターったら、知ってたみたいな雰囲気だったわね。」







彼女の呟きに、シフォンの胸はズキリとした。







「もっと、反応が欲しかったのですか?」







彼が嫌がる反応が。
その言葉を直前で押さえ込むと、シフォンは歯を噛み締めた。







「いいえ、そういう訳ではないのだけれど…。何でかしらね。」







よくわからないわ、と言うを見て悲しく思う。
そして、悔しくも。









私は、私はシフォン・ウェレンツだ。誰の代わりでも使い走りでもない。









彼は唇をも噛み締めた。彼女を引き寄せた手に強く力が入り、そして直ぐに脱力する。







「シフォン…?」







が悪いのではない。悪いのは、彼女をこんなにした奴の方だろう。私は、何をやっているんだ…?








「すみません。」

「何故謝るの?」

「……わかりません。」








シフォンは顔をしょげると、するとがくすくす笑った。








「わからないなんて、私と同じね。」







と。










               *











私は、シフォンがもやもやとした気持ちを捨て去る事が出来なかったことに気付いた。だって、謝ってからはずっとふて腐れた様に遠くを見つめている。私を見て欲しいと思っても、彼の心はどこか遠くへと行ってしまった気がした。








「……」








私、実は無言の刻が好きなの。誰にも干渉されずに自分の時間を過ごせるから。
でもね、シフォンに対しては別だと思った。もっと構って欲しい。








「シフォン…」









彼ははっと気付くと私の顔を見た。そしてバツが悪そうにすると、申し訳なさそうになる。

私の声、そんなに不満そうだったのかしら。そうしたら悪いのは私だけれども、シフォンだって悪いのよ。









「何ですか?」

「私を見て。」

「えっ…」









じーっと見上げると、シフォンは目をぱちくりしながら見返してくる。








「ずっと見ていて。」

「はい。」

「一生よ。」

「……はい。」








一生という言葉が彼の重荷になったのがわかった。戸惑って答えたというよりか、無理だとわかっていて答えた気がした。








「私の一生にかけて。」








彼の言葉は嬉しかったけれども、何故か説得力はなかった。




























「かなりのんびりしましたね。」

「ええ。」

「帰りますか?」

「そうね。」









シフォンは先に立ち上がると、私に手を出してくれた。その手につかまって立ち上がると、お尻についた草を払う。
ふと見上げて彼の顔を見ると、にこりと微笑んでくれた。優しい笑みは、全てを包み込む力を持っていた。私はゆっくりと彼の胸に体を預けると、唇にキスをした。









ちゅ、と軽い音を立てたキス。そして、深く求め合うキス…



































『シフォン・ウェレンツ、信じていいのだろうな…』







































突然、知らない男性の声が頭の中に響いた。
自分の記憶を思い起こしてみたが、やはり知らない声。
驚いて唇を離してしまうと、世界が戻ったように自然の音が聞こえた。








?」







シフォンが心配そうに顔を覗き込んできた。

「大丈夫」と言って再び唇を合わせる。
続きが気になったから。


























『貴公の申し出は有り難い。しかし貴公は…』



























場面が見えるわけじゃないの。声が聞こえるだけ……いいえ違うわ。声だけではなく、その場の音まで聞こえる。
チクタクと時計の針が動く音以外は静まりかえった室内。
そして指で机をトントンと打つ音が聞こえ出した。







『それは言うな。』







この声はシフォン?
いつもの穏やかな声ではなく、威厳を持った当主の声。










『しかし…!!失敗したら名声の死が待っている。大丈夫なのか?』










シフォンと話していた男性はうろたえた。声に震えが混じっている。










『ああ…。私にはもう、思い留まるものはない…』









一体何?
これは、彼のガドリアでの出来事…?何故、私の中に入ってくるの?







本当はわかってる。
私に必要だから聞こえるの。聞きたくなくても、勝手に入って来てしまうのよ。












『シフォン・ウェレンツ、まさか端から命を捨てるつもりではあるまいな。』

『…そんなことはない。』

『……シフォン…』

『お前には友として、頼みたかったんだ。私は騎士だ。祖国を裏切ることは出来ない。それは、お前もだ。』

『ああ…。しかし、これは私に与えられた任務で、貴公は…』

『お前には家や、妻や子供がいるだろう?』














彼が笑った気がした。
悲しき微笑み、自分では得られないものを持つ友への羨望。

頭の中て今起こっている初めての状況と、シフォンから流れ込んでくるこの会話でぐちゃぐちゃになってしまう。















『私には家しかない。腐りきったあの家だ。惜しくはない。』

『何を言う!ウェレンツ家はガドリアでも古い名家だ。私の家柄とは違う!』

『ウェレンツ家と同等に古い家柄であるヴァレンス家がお取り潰しになったのだ。今の時代に家柄はもう、関係ない。』

『シフォン・ウェレンツ!!』

















シフォンが何を言ってもその申し出を跳ね退け続けるこの男性が好ましく思った。最後には折れてしまうとわかっていても。














『これは敵討ちなんだ!我が妹イルハの。わかってくれ!』















イルハの敵討ち?

彼女はもう、いないというの…?









目から涙が溢れて来た気がした。










可愛い可愛いイルハは、シフォンの元から去ってしまったというの?





















『しかし貴公は!』

『お願いだ、私にこの任務を譲ってくれ!!!私が生きた証を立てたいのだ。』

『くっ………わかった。貴公に譲ろう。

クルザンド王統国第一王女・ボラドの暗殺を。』
























ああ……
























『感謝する…』

『しかし、生きる証ではないのだな…』














声は次第に遠退いていき、周囲の緊張した空気も消え去った。
後に残された静寂は閑散としたもので、私の胸に重みを植え付けた。









ああ、やっぱりそうだったのね。観光なんて嘘、私を殺しに来たガドリアの刺客。

それが本当のあなたなのだわ…。









私とシフォンはゆっくりと唇を離す。自然の空気に触れて、自分が本当に涙していることに気付いた。
シフォンは私の涙に気付き、仰天する。彼からすればいきなり泣き出したようにしか見えないので当然だろう。








!?どうしたんですか?」








首を横に振る。なんでもないと、鳴咽になりそうで言葉に出来ないけれど、必死に首を横に振った。
裏切られたとかは感じなかったので、自分がどこかでそれを視野に入れていたのがわかった。シフォンはきっと、こういう人だということがわかっていたのだ。それがわかっていたからこそ、私は悩んだのかもしれない。








涙は止まらなかった。理解できない現象のために、イルハの死を知ってしまった。そして、シフォンは私をイルハの仇と言った。私がイルハを見殺しにしたのだと思う。クルザンドから、帰りたくもないガドリアに送還してしまった。



この涙はイルハのためのもの。きっとイルハは、クルザンドからの送還中、若しくはガドリア到着後に何かあったのだわ。








私が、ヴァーツラフ兄様に頼んだから…。

私の、せいだわ。










「シフォン…」

「…?」









泣きながら微笑むと、シフォンは涙を拭ってくれる。
その手が優しくて、温かくてまた泣けてくる。









「どうしたんですか!?」









彼は慌てるとポケットを探り出した。黙って見ていると、そこから出て来たのは一枚のハンカチ。











「どうぞ。」

「はい…」











このハンカチを私は知っている。
イルハがあの時、シフォンのために刺繍したもの。見えない目で兄のイニシャルを必死に刺繍して…、私が教えたのよね。









「あ…」








また流れる涙。








…」








止まらない。
そう悟った瞬間、私は心配そうに顔を覗いて来たシフォンの唇にキスを返す。








「!」








シフォンは目を見開いたけど、そのままキスを続けてくれる。
そして再び、深く濃厚なキスへ…。









あなたが私を殺そうと思っていても、私のこの気持ちは変わらない。
貴方と一緒に過ごしたい。一緒にいたいの。










だからあなたを信じたいの。










しとしとと冷たい涙が肌に染み込んでいく。
私の顔に涙の跡が残らないようにと、シフォンはイルハのハンカチで私の顔を拭い続けた。











***********

次第に明らかになっていくシフォンの正体。

目をつぶってでも、貴方を信じたい。

2008/01/31






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