本当に何が大丈夫かわからなかった。
このまま救いがあるとも思えない。
は、セネルを選んだのだ。
心を支配する言葉。
しかしそれを受け入れないように、はねのけるように、ワルターはシャーリィを抱きしめながら、自分に言い聞かせていた。
「ワルターさん…」
シャーリィはその包容にしがみつくようにワルターの名前を呼ぶ。
そして心が落ち着いたのか、そのままの姿勢で寝入ってしまった。
ワルターは彼女の寝顔に安堵して布団を掛けてやると、そのまま部屋を出た。
あの後の二人が気になったので、ワルターは先ほどの場所に戻ろうかとも思った。
しかし戻った時にまだ楽しそうに話す二人を見て、居たたまれぬ自分を思うとどうしても戻る事が出来なかった。
を奪い返すよりも、自分の心の方が大事に思えたのだ。
それにが本当にセネルを選んだのならば、自分が奪い返してもすぐにセネルの元へ戻ってしまうだろう。
「いや……」
ワルターは思う。
の性格を考えれば、自分を思って犠牲になってくれるかもしれない。
セネルを捨てて、今までどおりに一緒に住むかもしれない。
それでもいいと思った。が帰ってくるならば。
ワルターはそこまで考えて頭を左右に振った。
一体自分は何を考えているのだ。
奪う奪わないとか、戻る戻らないの問題ではない。
がセネルを選んだのだ。だから、の心はセネルのもの。
俺が、とやかく出来るものではない。
ならば……、
「のために身を引くのが、俺が出来る事のはずだ」
言って決心をつけようとした。
しかしずっと守ってきたつもりの彼女を、やすやすと他人に渡そうなんて考えられない。
ワルターはそれほど、なしではこれからの生き方が考えられなかった。
「くそ……」
彼は唇を噛み締めると、立ち止まった。
拳を握り締め、ぶるぶると震えだす。
「俺は、なんなんだ。のことが……――」
「ワルター」
自分の気持ちの確信を呟きそうになった瞬間、後ろから呼び止められた。
先ほどまで話していた声だ。ばつが悪そうに振り向く。
「マウリッツ、まだ用があるのか」
呆れたように言う姿を、マウリッツは辛抱強く見つめた。
その視線に彼が観念し、警戒を解いて近づいてくる。
すると、マウリッツは一冊の本を手渡した。
「これは…」
ワルターはそれを受け取ると軽く開く。
ぱらぱらとページを捲って、流し読みをした。
しかし…
「何故、これを貴様が持っている!!!」
突然本を閉じて、マウリッツに食いついた。
「私の部屋にあったのだ」
「そんな…」
ワルターは再び本を開けると、最初のページからじっと読みふけっていった。
ここが外だとも、立ちっぱなしだということも忘れ、一心不乱に読みふけった。
なぜならば、この本こそがずっと探していた『世界を見守る者』について書かれた唯一の本だからだ。
そして、この本を読んでマウリッツのたくらみが見えた気がした。
なぜならば……
『全ての運命を決める者selecter、それは神が定めた地に住まう者。世界を見守り、導く者。未知なる力を用い、全てを決定する』
すなわち、世界の行く末を握る者だからだ。
が、陸の民や水の民の……いや、世界に在るもの全ての未来を握っているのだ。
「を殺そうなどとは考えなかったのか?」
ワルターはぽつりと呟いた。
彼が本を読み終わるのを待っていたマウリッツは、その言葉を聞き逃すことはなかった。
「あの娘は守られている。殺そうとするだけ無駄なことに近い」
「フ、そうか」
「もし殺せたとしても、それは世界の不確定な未来を見る事になりかねない。それはやがて、世界の崩壊へと繋がるだろう」
「……」
「私は、水の民を誰一人失いたくはないのだ」
「……貴様は、水の民全てを海に帰そうと思っているのだな」
ワルターの見つけ出した答えを聞いて、マウリッツは胸を撫で下ろした。
どんなに陸の民に感化されようが、やはりメルネスの親衛隊長だ。私の考えが手に取るようにわかるらしい。
「そうだ。
私はもう指導者としての力が萎えた。だから、君がシャーリィと二人で水の民を導いていってほしいのだ」
ワルターはマウリッツをじっと見つめた。
何かを量るように見つめている。
「俺は、メルネスの意見に従う」
「賢明な判断だ」
ワルターの言葉は最もなものだった。
指導者と言えども、真の指導者はメルネスであり、ワルターはその補佐役になるのだ。
「しかし、いいのか?お前はあの娘を……」
「貴様が探るようなことではない」
ワルターはマウリッツの言葉を遮ると踵を返した。
もちろん本は持ったままだ。まだ返すつもりはない。
マウリッツも特に何も言わず、同じように背を向けて部屋に戻っていく。
ワルターはマウリッツの気配が消えると、ぴたりと立ち止まって空を見上げた。
そして黒く輝く翼を背に生やした。
一直線に飛んでいく。
今まで上がった事がない程の高度まで、ぐんぐんと昇っていく。
「っ……」
そして息苦しくなったところで、彼は止まった。
下を見ると、遺跡船が手で掴めるほどに小さくなっていた。そして、広い海の上を真っ白い綿菓子のような雲が漂っているのが見える。
びゅうびゅうと吹いていた風は、この高さまでくると感じなくなり、胸の圧迫感だけが残った。
この苦しみは、どこから来たものだろうか。
のせいか、それとも、ただここに昇って来たからだろうか。
「まだ、セネルと話しているのだろうか……」
口を突いて出た言葉。はっとして口を覆う。
頭の中はのことでいっぱいだった。
いつもならこんなに激しく心が揺さぶられることなんてない。
近くに居て、横から手を出して、そこに手を乗せてもらえればよかったはずだ。
それ以上でも、それ以下でもなかったはずなのに、どうして―――
ワルターは自分の気持ちがどうなっているのかわからなかった。
胸の奥はぐるぐるとかき回され、言いようもない吐き気をもよおす。
目の前が真っ暗になり、光を携えて傍にいたはずのは、遠くでセネルと共にいる。
「俺は――」
『仔が望むのは、あの娘のなんだ?』
「俺が望むのは、の・・・」
『それが叶えられる事はない。あの娘は他の者を選ぶ』
「セネルをか」
考え込むワルターに話しかける者がいた。シュヴァルツだ。
彼女は口元に笑みを浮かべることなく淡々と言ってのける。
『当たり前だ。あの娘の選択は為されている』
「っ……」
ワルターは胸に手を当て、力強く掴む。
苦しみを取り去ろうと躍起になっているようだった。
そして硬く目を瞑り、唇を噛み締める。
血の味がした。
「俺は―――」
私には、セネルがいるから…――
苦しむワルターの頭の中を、澄んだの声が響き渡った。
***************
闇に支配されていく心。
ワルターは思い込みが激しいので(笑)
ちょっとこうだと思ったら、それを考えすぎてつけ込まれそう。
これって私達にもありえますよね。思い込んだら、こうなんじゃないかって
心配になっちゃって…それで食い違ったりしてしまう。
まあ、そんな感じです。(どんな感じやねん)
2008/07/31
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