全ての霧が晴れ、現れたヴァーツラフは近づいてくるとセネルを見据えていた。
彼は戦闘態勢をとることなく無表情だったが、少し悲しそうな表情に見える…セネルはそう思った。
「、俺が支えてるから」
「ええ」
セネルはゆっくり、力強く言うと、の横顔を見た。
彼女の表情はもう恐怖に怯えてはいなかった。力強く手を握り返され、「きっと大丈夫だ」そう思った時、驚くようなことが起こった。
「セネルを選んだのか」
仲間の誰の声でもなかった。
聞いたことのある声…「しかしそんなありえない!」そう思って再びの横顔を見ると、彼女は驚愕の表情を浮かべていた。
「まさか…」
セネルはヴァーツラフを見た。
彼はもう無表情ではなかった。昔、愛する妹に向けていた笑顔を浮かべていたのだ。
「ヴァーツラフ?」
「なんだその顔は。狐につままれたような顔をしやがって」
「兄様…?」
「も、そのぽかんと開けた口元を引き締めろ」
は目が零れ落ちそうなくらい見開き、両手を口元に持って行った。そして開いた口を塞ぐと、瞬きをして兄の姿を確認する。
ヴァーツラフはそれに気付き大きな口を開けて笑った。
セネルはこの光景が信じられなかった。まさか黒い霧のヴァーツラフが喋るとは。
「サジェが喋れて、この私が喋れないわけがなかろう」
そうだった。
の婚約者だったサジェは黒い霧でも喋っていた。だからこそヴァーツラフがこうやって喋っていてもおかしくはない。
それほど、クルザンド出身の者の意志は強いのだろう。
「シュヴァルツとか言ったか、あの女がいなくなったから私が消されることはない。に話がある。私はそのために来たのだ」
「兄様……」
「黒い霧になったからといって、心まで支配されるほど私は弱くない。それに、二度も私を殺させてに辛い思いはさせん」
「兄様!!!」
は嬉しそうに肩を震わせるとセネルの手を離して駆け、兄に抱きついた。
ヴァーツラフは幸せそうに頷くと彼女を片腕で抱き上げる。
昔見た光景そのままだと思った。幼いを抱き上げている若者だったヴァーツラフ。
仲の良い兄妹の幸せな光景だった。
セネルは言葉を発することなくぽかんとしている仲間達を見て噴出した。
全員目を丸くして口を開けているのだ。滅多に表情を崩さないワルターでさえぽかんとしている。
「お前ら大丈夫か?」
「ちょっ……どういうこと?ちゃんとセネセネだけこの状況に対応してるし!」
「そうだ。納得できないぞクーリッジ」
「クロエ、ノーマ、そう噛み付くんじゃない。考えればわかるぞ、の倒れた原因だ」
「さすがウィルだな。そうだ、は黒い霧のヴァーツラフを見て倒れたんだ。黒い霧だからといって、再び兄を殺したくなかったんだ」
「さんらしいですね」
「そうだろ?」
兄と仲良く喋っているを遠めに見て、仲間達は自分の口元が優しく微笑んでいることに気付いた。
あのヴァーツラフは本人が言った通りには何もしない、愛しんでいるというのが傍目から見て取れた。
「ヴァーツラフ、俺達はお前に言いたいことがたくさんある」
セネルは緩む口元を引き戻し、強い口調で言った。するとヴァーツラフはを抱き上げたまま視線を向ける。
「そうだろうな」
彼はそう言うと大きな体をこちらに向け、どっしりと仁王立ちをした。
黒い霧になってもその存在感は薄らいでいない。
セネルはごくりと唾を飲んで彼を見上げ、張りつめた空気を解いた。
「でもお前の罰はが受けた…だからもう何も言わない。それにお前に与えられた最後の時間をに会うために使うんだろ?それならそれでいい」
「……すまないな、セネル」
ヴァーツラフはホッとした表情でを見た。
「……それより、さっきお前が言ったが俺を選んだってどういうことだ?」
セネルは彼に疑問を投げかけた。
ヴァーツラフは妹を抱き上げたままセネルを見ると眉間に皺を寄せる。
「お前らは手を繋いでいただろう?だからそう思っただけだ。ここで倒れたを助けに来たのはそこにいる水の民の男だ。だからが選んだのはてっきりそいつだと思っていたのだが…」
「に…兄様///////」
思っていることを率直に言うヴァーツラフに赤くなる。
その光景も昔のままだと思いながら、セネルはクルザンドに郷愁を覚えた。不思議な気持ちだった。
そして柔らかな笑みを向けながら頷く。
「お前の思っている通りだ、ヴァーツラフ。が選んだのはワルターだ」
「そうか」 「「「ええええっ!!!!!」」」
ヴァーツラフの「そうか」という声は、仲間達の驚きにかき消された。
その声に寧ろ驚かされ、セネルは咄嗟にワルターを見る。
彼は何故か、時間が止まったように静止していた。
「ちょっとお兄ちゃん!それ、どういうこと!?」
最初に突っかかってきたのは珍しくシャーリィだった。
怒声のようなその声に、セネルは恐怖を覚えた。
「『俺一人で支える』って言ってたじゃない。うまくいったってことでしょ!?」
「シャ、シャーリィ…どうしたんだよ」
「どうもしてないよ!さんがワルターさんを選んだってどういうことなの!?」
色々問いただしたそうな視線を受けるが、仲間達もシャーリィの迫力に横槍を入れる勇気はないらしい。
彼らは自分達を見守っていた。は心配そうにこちらを見ているが、ヴァーツラフは楽しそうにニヤニヤしている。
「あれは、俺の最後の足掻きだったんだ。最後に俺一人でを支えて、それで気持ちを断ち切ろうと思ったんだ。はそれに同意してくれた」
「……紛らわしいよ」
「すまん」
「じゃあ、さんはワルターさんを選んだんだね」
「そうだ……って、ワルターに話せって言ったのに言ってないだろ」
セネルはをじとりと見た。すると彼女は兄の腕をするりと抜けてセネルの元へ来る。
そしてちらりとワルターを見ると困ったように溜め息を吐いた。
「だって、話そうとしても私を避けてて聞いてくれないんですもの」
「避ける!?ワルター、何でを避けるんだよ」
セネルはくわっとワルターを睨んだ。
しかし彼は未だに静止していて、全てを把握するのに時間がかかっている様だ。
「紛らわしいっていったでしょ!私達みんな、お兄ちゃんとさんが元鞘に納まったって思ったの。ワルターさんも例外じゃないよ、だからさんを避けちゃったんだよ」
「そうそう。ワルちんたらちゃんを避けて宿屋のロビーで時間潰してたんだから」
ニマニマ笑いながら言うノーマの言葉には「えっ?」という表情になった。
それを見て、ノーマは何かを思いついたようだった。
「でね〜……泣いて―もがもがもがっ!!!」
言葉を続けようとする彼女の口を、思い切りワルターが塞いだ。
すると息が出来なくなったノーマは死に物狂いで彼の腕を叩き、ワルターは最後に力を込めて塞いだ後、ゆっくりと手を離した。
「余計なことを言うな」
「う……命に関わりそうだからそうする」
ワルターは頷き、そしてに向き直った。そして悩ましげな視線を彼女に向ける。
「、本当か?」
はその視線にうっとりしながら彼を見返した。顔を傾けて微笑む姿は可憐な花の様だ。
「ええ。ワルターは私にとって大切な人なの。一緒にいるのが自然で、家族のように温かくて……共に生きていきたいの」
その言葉を聞いてワルターは手を出しかける。しかしその手をの頬に這わせるか迷っているようだった。
「それでも…」
「それでもセネルのところに行った、なんてなしだぞ。先にお前がから離れたんだ。それにそのきっかけだってお前の早とちりだ」
セネルはワルターの言葉を遮った。そして彼の言わんとしている事を突く。
ワルターはばつが悪そうにセネルを睨んだ。
「俺の早とちりだと?」
「そうだ。俺とはクルザンドで知り合いだったんだ。その話をしている時に、お前とシャーリィは入れない雰囲気だと勘違いしたんだろ?故郷が一緒で、思い出の共有者には入れない雰囲気くらいできるさ」
自分の言葉に目を丸くしているワルターを見て、セネルは胸を張って腕を組んだ。
「お前達は知り合いなのか…?」
「ああ、それはヴァーツラフが証明してくれるだろ」
セネルがヴァーツラフを見ると、彼は頷く。
ワルターはそんな二人を見てセネルの言葉が真実だと悟った。
再びに向き合い、真っ直ぐに彼女の瞳を見て言う。
「すまなかった、お前を一人にした。離れないと誓ったのに、俺は何度もお前のそばからいなくなった。
そんな俺でも……共に生きてくれるのか?」
はにっこりと微笑んで頷く。
「ええ。あなたが何度いなくなったとしても、いつか必ず私の元に帰ってきてくれるってわかってるから」
「……ありがとう、」
ワルターはおずおずとの肩に手を掛けると、その体を引き寄せた。
そして優しく抱きしめる。
気持ちを意識して抱きしめるのはこんなに心地よいのか、ワルターの率直な感想だった。
戦いとなれば剣をも扱うその体は華奢で、力を込めたら壊してしまいそうな気がする。
しかし伝わってくる心臓の音は力強く、早鐘を打っていた。
腕に収まっている彼女の顔を見ると、赤く染まった頬は自分の胸に当てられ、同じように心臓の音を聞かれているのだった。
とうとう気持ちが伝わった。そして全てを受け入れてくれた。
彼女の全てが愛しかった。
信用ないかも知れないが、今度こそ絶対に離れないと心に誓った。
なぜならば、彼女の言った「いつか必ず私の元に帰ってきてくれる」という言葉が引っかかったからだ。
「いつか」は今ではない。きっとワルターとではない未来の二人のことだろうと思った。
次に離れてしまったら、ワルターとしてとは会えないかも知れない。
「………オイ、いつまでやっとんじゃ」
二人の雰囲気をぶち壊すかのように、モーゼスが非難の声を上げる。
するとワルターは仲間達がいたことを思い出して我に返った。
「ワの字、ワイらのこと忘れ取ったな!?」
「……」
「ダンマリとはワルターさんらしいですねぇ。……でもまあ、よかったんじゃないですか。これで一つ問題は解決したわけですし」
「ジェー坊、問題って何じゃ!?」
「さんの争奪戦ですよ。これで一件落着です」
「何いっとる!ワイは認めん、認めんぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
モーゼスはそう叫びながらの元へ向かおうとした。
ウィルとセネルは彼の両腕を掴み、行かせまいと奮闘する。その時…
「モーゼスさん、諦めて下さい」
シャーリィが先ほどの迫力そのまま、モーゼスの前に立ちはだかった。
そして腰に手を当てて彼を睨み上げる。
「じょ、嬢ちゃん……」
「諦めなさい」
「ハイ……」
きっぱりと言われ、モーゼスは震えながら返事をした。
シャーリィの迫力は彼女の背中に鬼が住んでいると思われる程恐かったのだ。
「ははは!シャンドルの半裸を恐がっていたシャーリィはもういないな!」
「その通りだ。少し昔のシャーリィが懐かしいが、これはこれで良いことなのだろう」
クロエとウィルは違和感なく感情を表現するようになったシャーリィを微笑ましく見て笑っていた。
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視点の人がバラバラに(笑
でもお互いの気持ちも伝わったし、シャーリィが溶け込んで良かった^^
2010/03/19
176話