「ちょっと、暴れないでよ!」
ハリエットの焦る声が聞こえる。
「いたい…痛いってば!」
その声の不安は、赤ん坊の泣き声に煽り立てられるかのように積もっていく。
「大丈夫か?」
「ハッち頑張れ〜。」
皆の笑い声も風に乗って、ハリエットの不安も一層強くなる。
「ちょっと、笑ってないで助けてよ。」
彼女の必死な声。
皆にはわからないのかしら。
「ちょっとワルター君、代わってよ。」
「…何故俺なんだ?」
「だって、さっきあいつの家で大事そうに抱えてたじゃない。」
「あれはに無理矢理…」
「はよくて、ハティはダメだって言うの!?」
「あのな…」
風が運んで来るそれぞれの不安。
でも風は、
「大丈夫」
と私に告げてくる。
「……これは何?」
「どうしたんじゃ、。」
モーゼスは心配そうに私の顔を覗いた。
あまりにも親身な顔つきだったので、今の声のことを聞いてみる。
「声、聞こえた?」
「声?」
「ええ。皆の声と知らない人の声。」
モーゼスは不思議そうに目をぱちくりさせると、ギートを見る。
「ギートは聞こえたかの?」
「クーン?」
「聞こえんかったか。ワイもじゃ。
ここはセの字達のとこからは遠いんじゃし、聞こえるはずがないんじゃが。」
モーゼスが言っていることは正しい。
だってまだ、皆の姿は見えないもの。
「そう…そうよね。」
不思議な気持ちに苛まれる。
でもどうしようもなくて、聞こえてくる声に耳を傾けるしかなかった。
「だめ!花飾りには触っちゃだめ!
だめって言ってるでしょ!!」
「おぎゃあああっ!!」
「お、赤子の声は聞こえるんじゃが。」
「ええ…」
「?」
皆が見えた。
私の仲間達は、ハリエットを見て状況を見守っている。
「どうしたんだ?」
前を行くウィルが、皆に声を掛ける。
「おぎゃああっ…」
赤ん坊の泣き声を聞いて、彼は溜め息をつくと、
「しょうがないやつだな」
と呟いてハリエットのそばに歩いて行った。
「ちょっと貸してみろ。」
「なっ何すんのよ!」
ウィルは彼女から赤ん坊を抱き取ると、あやし始める。
「ほら、もう恐くないからな。恐いお姉ちゃんはもういないぞ。」
「誰が恐いお姉ちゃんよ!」
「ぷくく…」
「そこっ、笑わないの!」
「おんぎゃああっ…」
ハリエットの声にびっくりして、赤ん坊は再び泣き出す。
「大きな声を出すな。ほら、よしよし…。
もう大丈夫だ。」
ウィルは満足そうに微笑むと、赤ん坊をハリエットの手に戻してやる。
「何で泣き止むのよ…。…なんか慣れてる感じだし…。」
「お前も九年前はこうだったんだぞ。もっとも、お前はこの子みたいに大人しくなかったけどな。
俺を蹴りとばすわ踏みつけるわ、大変だったんだ。」
ハリエットは恥ずかしそうに膨れると、「恩を着せられたって、感謝してやんない。」と言った。
ウィルは優しく微笑むとハリエットと向かい合う。
「恩などきせるものか。それが親の役目というものだ。」
「え…。」
「……赤ん坊は感情に敏感だ。お前が苛立てばこの子の機嫌も悪くなる。わかったか?」
「わ、わかったわよ。」
ハリエットは口元を緩ませると、赤ん坊をぎゅっと抱きしめた。
そうして、緩んだ産着を丹念に巻いてやる。
「……あれ?濡れてる。」
「どうした?ハリエット。」
「この子のお尻が濡れてるの!」
「それは困った。おしめなんて持ってきてないぞ。」
「ハティも持ってない。皆は?」
皆は首を左右に振る。
もう、用意が悪いわねぇ。
「私が持ってるわ!」
私は少し遠くからモーゼスと二人で見守っていたけれど、手を上げてそう言うと、
荷物を引っかき回しながら皆の元に戻った。
「は本当にうまいな。」
私がおしめを取り替える姿を見て、ウィルが言った。
「あたし達もウィルっちの家でそー言ってたんだよね。」
「ええ。そうよぉ。」
「は職業がらそういう勉強をしたって言ってたけど、何のお仕事なの?」
ハリエットは不思議に思ったのか、率直に聞いて来た。
皆で息を飲む。
そう、私がクルザンドの王女なのは秘密なの。
「そそそ…それはだなっ」
クロエが焦る。
「クー!」
「なんだ?」
「言動が怪し過ぎ!」
「そんなこと言われても…。」
ハリエットはキラキラした目で私を見上げた。
どうしましょう。
私はどう対応しようか考えながらテキパキと赤ん坊のお尻を拭き、おしめを巻く。
きつくなく、緩過ぎず。
お肌にふんわりした感触が残るくらいにね。
私は取り替えた方のおしめをくるくる巻くと、袋に入れてバッグにしまった。
そして隣を見ると、
ハリエットはまだ私を見ている。
「、教えて?は絶対皆とは違うと思うの。」
「ハリエット…」
「なあ、ハリエット。」
その時、頭上からヴァイシスの声がした。
私達は上を向く。
「なに?」
「は病院の看護婦さんなんだ。」
ヴァイシスはそう言うと、看護婦さんがつけている帽子を空に書く。
「こんなのをつけて、立ち回って働くんだよ。」
「わ〜っ!やっぱりね!そうだと思ったわ。」
思ったんだ…。
私は何も言わずにこにこ笑う。
「がナース服来て働いてたら引っ張り凧でしょ?」
「そうなんだよ〜っ」
…一体どこまで話を進めるのだか。
「で、ヴァイシスは何してんの?」
ハリエットはまた、痛い質問をする。
でもヴァイシスはニヘラと笑うと。
「フリーター。」
と言った。
「ええっ!それじゃこの前の約束は考えちゃうじゃない!」
「あ、それは勘弁してよ。その時俺に聞かなかったハリエットが悪いよ。」
「なっなによ。」
ウィルは二人を交互に見て肩を落とす。
あ、またヴァイシスが怒られる?と思ったけれど、そうではなくて、
「ろくでもない奴とろくでもない約束をするな。ハリエット。」
と言っただけだった。
ハリエットはうんうんと頷くと、「そうよね。」と言う。
ヴァイシスは苦笑いしながら私にウィンクする。
あ、そうね。
「さあ、皆。先を急ぎましょう?」
皆を促してハリエットに赤ん坊を任せると、私はウィルの横に行った。
「結構時間が経ってしまったわ。大丈夫でしょうか。」
ウィルは私の頭を軽くぽんぽんと叩くと、
「そう祈るしかない。」
と言った。
「ハリエットちゃん、大丈夫?お姉さんが手伝ってあげましょうか?」
「ううん、大丈夫。ありがとうグリューネお姉ちゃん。」
「いいえ。」
ほんわかマイペースなグリューネがあからさまに心配するほど、ハリエットの疲労は目につくものであり、明らかだった。
重い赤ん坊を一人で抱え、魔物が出現したときは一目散に後方に下がる。
彼女は一人で辛い思いをしてるのだろう。
見るに堪えられなくなると、私はウィルの横から離れてハリエットの隣に行く。
「…はあっ…」
「大丈夫?ハリエット。」
「…へーきよ。きっと、もう少しよ。」
「ハリエット…。」
彼女の姿に感服する。
それに答えるためには、どうにかしなければいけない。
絶対、赤ん坊の両親を無傷で捜し出さなければいけない。
私はそう決意すると、目を瞑った。
祈るように胸に手を当てて周囲の気配を感じ取る。
こんな事で何がわかるって思うでしょう?
私も思うの。
でもね、今はこうしなければいけないって言われた気がするの。
曖昧なのだけど……。
「、どうした?」
隊列の一番後ろを歩いていたワルターが、私の行為に気付いて立ち止まった。
「……?」
ごめんなさい。今は答えられないの。
集中しなきゃ…集中……
風が舞う。
細かな音を私の耳に届けるように、シュンシュンと音を立てて舞って行く。
いつからこんな能力が身についたのか、もしかしたらステラかメルネスの置き土産なのかも分からないけれど……。
風が運ぶ音、音、音……。
耳を劈くようなものから、本当に小さな囁きまで。
巨大風穴内の音が全て聞こえる。
「……っ……けて!」
「だ…か…」
聞こえた!
赤ん坊の両親はまだ、生きてる。
でも何か大変な事が起こっているみたい。
早く行かなければ。
この声はどこから聞こえてくるの?
どこ?
どこなの?
下……
え?
下…
さっきの知らない声。
「下……。」
「は?」
「下なの、ワルター!!」
「大丈夫か、。」
「もうっ!皆、あの子の両親は下にいるわ!!」
仲間達は私の声に耳を向けてくれる。
「本当か!?」
「ええ!!早くいきましょう!!」
「何で分かったの?」
「そんな事はどうでもいい!何かあったんだな?」
「…はい。ご両親が危ないの。ウィル、早く!!」
「わかった。行くぞ皆!!」
ウィルは私の言葉を信じて、下の階へと導いてくれた。
どうか、どうか間に合って!!!
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巨大風穴も次で終わりです。
ハリエットはヒロインの正体を知りません。
もちろんヴァイシスの正体も知りません。
知っているのは、仲間達とミュゼットさん達と
オルコットさん、マウリッツくらいです。
いやー、混乱を避けるためにですよ(笑)
仮にもクルザンドの王女ですからね^^
2006/10/05
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