「ここ…どこだろう?」
今度は全く違う場所にいた。
ナルニアとテルマールじゃないどこか。それだけはわかる。
だって、生き物のざわつきがないの。
そりゃあ昔と違って、ナルニアの木々はお喋りしなくなったよ。
けど、普通なら風の囁きと共に葉の揺れる音が聞こえるでしょ?
でもここは無なの。
木々も草花もあるけど、そこに在るだけ。生を感じない。
「寂しい場所…」
「そうだろう」
ハッとして振り向くと、そこにはアスランが座っていた。私は両手を広げて飛びつくと、その首に腕を回す。
ふかふかと鬣が頬に触れ、お日様の匂いが漂った。
「アスラン!」
「、会いたかった」
「!…私も」
彼が言ってくれた言葉に、私はそのまま愛情をキスで返す。
しばらくじゃれ合った後、きっちりと座り直した。
「、無茶をするでない」
「私…、死んでしまったの?」
「…」
無茶、それはテルマール城の奇襲のことだろう。
そう思って自分の安否を確認したんだけど、アスランは何も答えてくれなかった。
「アスラン、私…」
「私の背に乗りなさい」
促されるまま彼の背に乗る。
がっしりとした背中を跨ぎ、黄金の鬣に掴まると、アスランはいなないた。そして静かに走り出す。
私達は特に言葉を交わさない。
数分…ううん数十分だったかもしれない。
けどここでは時の流れも無意味に感じる。
ここは、死後の世界なのかもしれない。
アスランが何も言わないから、私も話し掛けなかった。それが一番な気がする。
だって、こんなところで何か話したら、世界中に声が届いちゃいそうだもん。
それくらい静か。
しばらくすると、走るスピードが弱まった。
アスランが何かを気にするように周囲を見渡すと、声のような音が聞こえてきた。
この音、聞いたことがある気がする。
「これから起こることは、見なかったふりをするのだ」
「えっ…あ、うん」
言いつけを確実に守るために、目をつむる。目を開けてなければ見ないふりなんて完璧だもんね。
すると、アスランが頭を左右に振った。
「目は開けて、受け止めなければならない」
パッと目を開け、瞬きをする。見なきゃいけないけど、見て見ぬふりをするんだね。
「そして絶対に、応えてはならない」
私は強く頷いた。
アスランはゆっくりと歩く。その大きな足が、優しく強く大地を踏み締める。
ナルニアが出来た時のように、彼の跡から草花が咲き誇ることはなかったけど、この大地に生を与えてるのは確かだ。
だって、爽やかな風が吹くもん。
「…」
「!」
えっ?と驚いて周囲を見渡す。アスランじゃない誰かが、私を呼んでる。
「様」
「守人様」
次々と呼ばれ、困惑する。だって誰もいない。
アスランは何も聞こえてないのか、ゆっくりゆっくり進んでいく。
私だけ?…幻聴なのかな。
「ひっ…!」
途端、たくさんの手が現れて声をあげてしまう。
何かを掴もうと必死にもがいている手。
共に聞こえる呻き声には、私の名前もまじっている。
「…すけ…し…たく…い」
「?」
「死にたく…ない」
ハッキリと聞こえ、その声の主は私の腕を掴んだ。
強い力で引かれて、落ちそうになる。
その時見えた声の主、それは私を守って死んだグレンストームの息子さんだった。
ぎゅっとアスランの鬣を掴み直し、絶対に落ちないぞと体に言い聞かせる。
ナルニアとアスランの名にかけて、私は目を逸らさない
念仏のように頭で繰り返す。
これは幻だ。
だって、彼は私に感謝してくれた。こんな風に私を一緒に連れて行こうとなんてしない!!!
掴もうと繰り出される何十もの手、手、手!
私はその一つ一つを見て誓う。
守人には、私にはまだ役目がある。ナルニアを守らなきゃいけないから、だから…私は戻る。
「あなた達が許すならば、私の力となって、一緒に戻ろう」
声に出したら、それは取り消せない。
応えるなって言われてたのに、彼らを見捨てることは出来なかった。
何十もの手は、束になって襲い掛かるように私を掴む。
その痛みは心を引き裂かれたようで、『死』以上のもの…、まさに魂の滅びなのだと思った。
ああ、アスラン。言い付けを守らなくてごめんなさい。
*
生暖かなものが頬這う。
そのうち、頬だけじゃなく全身を這っているのに気づき、くすぐったさを覚えた。
ぺろぺろと腰を舐められ、くすくす言いながら起き上がる。
「あはは、くすぐったい」
それ、は動くのをやめて私の体を離れた。
「無茶をしないように言ったはずだが」
ピシャリと言われ、全身を竦める。
その声は深く、怒りを帯びていた。
「ごめんなさい」
「謝っても済まないことがあるのを、そろそろ気付いても良い時期なのだが…」
「…それに気付いて大人になったら、私はナルニアに来れなくなっちゃう」
「守人はそういうことがないのだよ」
怒りは次第に薄れ、いつもの落ち着いた声が戻ってきた。
よかった、と思うけど、あの怒りはアスランの優しさ。
私を大切に思ってくれてるということだ。
「その通りだ」
アスランは私を立たせ、背に乗せてくれると、満足そうに歩き出す。
「彼らに応じたら、の命はなくなるも同然だったのだが…」
「だが?」
「私にも見えないものがある」
そう言ったきり、アスランは一言も話さなくなってしまった。
あまりにも中途半端なとこで話を区切るから、その先が気になっちゃう。
そういえば、さっきのあれは何だったんだろ?
幻聴だと思いたいけど、それにしてはリアルだった。
手も……
掴まれたであろう場所を見ると、そこには痣が出来ていた。指の跡もくっきりしてる。
やっぱり、あれは現実だったんだ。
アスランが言ったことを思い返す。
応じたら私、本当に死んでたんだ。あの魂が引き裂かれる様な感覚……、自分が無になる様な。
あれは、この世から私という存在自体が失くなるってことだ。
死よりも怖い。
でも、私はこうしてアスランと共にいる。
「私は、が消えてしまうと思ったのだ。
しかし、あの死の塊は……に新な力を与えた」
「新な力?」
アスランは頷く。
「未知の力だ。それは私にもわからない」
「アスランにもわからない力…」
アスランにもわからない力なんて、大丈夫なんだろうか。
でも、私を守ってくれたみんながくれた力だもん。
絶対に大丈夫だ。
「の持つその心が、彼らを二度救ったのだろう」
「うん!」
いつもの心地好い高笑いが聞こえ、ゆったりと体が揺らされる。
アスランがまた歩き出したんだろう。
同時に眠気が襲ってきて、うつらうつらと意識が飛んでしまう。
すごく眠い。
「そろそろ、戻るのだ」
「戻る?」
「肉体に戻るのだ。、これからも大変なことがあるかもしれない。
しかし……」
アスランが何か言ってる。でも眠すぎて最後まで聞けなかった。
そのまま、彼の上でぐっすりと眠り込んでしまったの。
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2010/09/10
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