妹は、抜け殻になってしまったかもしれない。
ヴァーツラフがそう思い始めたのは、妹が気がついてから二日後くらい。
彼が話しかけても、あまり反応しなくなったのだ。
妹はサジェから貰ったと思われる指輪を、太陽の光に当ててきらきらと光らせたり、自分の指に填めたり外したりを繰り返している。
それを見ていると、あまりにも居た堪れなくなって心が潰れそうになる。
妹の心までも、サジェは連れていってしまったのだろうか。
サジェがいなくなって、ヴァーツラフの生活も一辺した。
今まで以上に、遺跡船に執着するようになったのだ。
サジェは彼にとって最後の砦だった。
遺跡船を手に入れて、クルザンドを救う。
彼のやろうとしている事を、サジェは全力で止めていた。
「そんな事をされても、クルザンドはおろか、王子も幸せにはなれません。」
彼がサジェに言われた言葉だった。
サジェは遺跡船に行くヴァーツラフに着いて行ったことは一度も無かった。
遺跡船での計画にはサジェは必要不可欠だったが、彼は一度も力を貸すことなく、ヴァーツラフの元を去った。
ヴァーツラフを止める者はもう誰もいない。
― あとは、ひたすら前に進むのみ。
彼はそう考えていた。
しかし、彼を引き止める者が一人。
空っぽになった妹の心だった。
「…」
きらきら光る碧の宝石に見えるのは、優しいサジェの瞳か?
その憂いを秘めた笑みは、サジェを労っているのか?
なぜ、私の言葉に反応しないのだ?
「ヴァツ。」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには次兄が立っていた。
「…なんだ?」
ぶっきらぼうに答えると、兄は笑った。
「ベネト夫妻が来てるよ。」
サジェの父母が…
その時、は恐る恐る私の顔を見た。
妹の瞳は、心が戻った様なとても印象的な瞳だった。
これが良くなかったのかもしれない。
をサジェの父母に会わせるなんて、なんて愚かな事だったのだろう。
ベネト夫妻は、私と妹にこう言った。
「名誉ある死だった。」
と。
妹は目を大きく開き、時が止まったかの様に固まった。
最初から、最後まで一言も声を発する事はなかった。
は、責められた方がどんなに楽だっただろう。
どんなに、謝罪の言葉を連ねようとも、決して許されない方がどんなに生きているか感じる事が出来ただろう。
それが叶わず、どんなに守られる、敬われる王族というものを呪った事だろう。
静かに去っていくベネト夫妻の背中を見て、
妹は何を思ったのであろうか…。
そのうち、は、誰にも会わなくなってしまった。
ヴァーツラフがほそぼそと食事をしていると、二人の兄が入って来た。
「おはよう、ヴァーツラフ。」
彼は答える事なく、何かを一心に考えていた。
「おい、ヴァツ。」
「…」
「オイったら!」
「…」
「ふう。……なぁヴァツ、思わないか?」
「…何がだ」
次兄が無理やり話しかけるので、ぶっきらぼうに答える。
「サジェらしくないよな、あいつがにものを残していくなんて。」
ヴァーツラフはゆっくり顔を上げる。
「あいつが、に枷を残していくなんて、おかしいと思わないか?」
「……」
― そうかもしれない。
彼は思う。
サジェは自分より何よりも、相手を優先する。
残される者の事を、咄嗟に考えなかったなど、サジェに限ってはないだろう。
指輪を残して自分の気持ちを残して逝くなんて、おかしいのかもしれない。
しかし…
「あまりに愛しすぎて、自分を側に置いて逝きたいと思ったのかもしれん…」
「ヴァーツラフ…」
「ヴァツ、お前は大丈夫か?最近あまり寝ていないだろう?」
「…眠くないのだ。」
次兄は心配そうに、弟の顔を覗く。
「それが、おかしいだろう?」
「…ふん。」
ヴァーツラフは、食事を残して立ち上がる。
「ヴァーツラフ!!ちゃんと食べなきゃ…!!」
長兄が彼の肩を掴む。
それを振り払うと、ヴァーツラフは言い放った。
「うるさい!!!」
心配そうに自分を見守る兄達。
― そんな顔で、私を見るな…。
彼は、何もかもがうるさいと思った。
「なぁ、…」
静かな寝息を立てている妹の髪を、優しく撫でる。
さらりと一房、頬から流れ落ちる。透き通った銀色の髪の毛は、こけた頬を露にする。
― 穏やかな眠りに包まれていて、本当に良かった。
ヴァーツラフは微笑むと、乱れた毛布を直す。
「私に何が出来る?
お前のために、何が出来るのだ?
この国が、豊かで平和になれば…、お前は笑ってくれるだろうか…。」
私は、遺跡船を手に入れてクルザンドを豊かな国にしたい。
未来はそこにあるのだ…
そのためには…。
カチャ…
後ろでドアを開ける音がする。
誰かと思い振り向くと、母であった。
「母上…」
「ヴァーツラフ、居たのね。」
母は穏やかに微笑むと、妹のベッドに近寄る。
「ヴァーツラフ、あなた寝ていないでしょう?目の下に隈が出来ているわ。」
「………」
「どうしたの?」
「…いえ。」
「そう。」
母はそう言うと、ベッドに座った。
そして優しく微笑むと、妹の頬を触る。
「……失礼します。」
「あら、もう行くの?」
「はい。」
「……ヴァーツラフ、は大丈夫よ。あなたも知っているでしょう?」
「……」
「この子は、強いのですから。」
ヴァーツラフは何も言わずにドアを開け、部屋を出た。
パタン…
「ん………、母様……?」
ヴァツーラフがドアを閉めた途端、中から妹の声が聞こえる。
しまった、起こしてしまったか。
彼はそう思うと、ドアから離れられなくなる。
「、あなた…どうしたの?」
「…」
そうか、母上はサジェが死んだことくらいしか知らないのか。
「話してみなさい。」
「…」
「。」
「…私、
あの戦いが終わったら、サジェの妻になる筈でしたの。」
妹の、悲痛な叫びが聞こえた気がした。
ヴァーツラフは、ますますドアから離れられなくなってしまう。
「戦いが終わったら、どこか平和な所で二人で暮らす約束をしましたの。
それなのに、サジェは私を守っていなくなってしまった。
サジェは、私を置いていってしまったの。
私も…サジェと一緒にこの世界からいなくなりたかった…。」
は、そんな事を考えていたのか。
サジェの存在が無いここには、何もないというのか。
その言葉を聞いた途端、ヴァーツラフの心は悲しみでいっぱいになる。
「そう、それであなたは周囲の者を心配させ、巻き込んでいるのね。」
「!?」
思いもしなかった母の言葉に、ヴァーツラフはドアを開けて飛び入りそうになる。
母は傷心の妹に、なんて事を言うのだろう!!
逸る気持ちを抑え、彼は部屋の中の会話に耳を立てる。
「サジェが何故、指輪を渡した意味が分からないあなたではないでしょう?」
「はい…。」
サジェが何故に指輪を渡したか、分かっているのか…?
「サジェは、自分の分まで生き抜くようにと、私に指輪を渡したのです…。
私には、酷な枷です…。」
「そうね。でも、あなたは生きなければならないわ。望んだ世界を得るために。」
「はい、母様。」
「もう、大丈夫ね。」
「…はい。心配をおかけして、申し訳ございません。」
「いいのよ。あなたがちゃんと分かっていて良かったわ。」
「…一人で認めることが出来なくて。サジェがいなくなってしまったことを認めることが出来なくて。自分の殻に篭ってしまいました。」
「元気になったら、ちゃんとヴァーツラフや他の人たちに謝るのよ。」
「はい!!」
久しぶりに笑い声を聞いた。
は、もう大丈夫なのだろう。
ヴァーツラフはなんとなくそう思った。
ドアにそっと手を置くと、なんだか安心する。
気持ちが軽くなった気がする。
もう、自分を留め置く者はいない。
いざ、遺跡船の計画の実行を。
数日後、ヴァーツラフの部屋を訪れた王女の目に入ったのは、
蛻の殻になった部屋と、机に広げられた遺跡船のものと思われる地図。
どんなに兄の姿を探しても、クルザンドで見つけることは無かった。
次に、ヴァーツラフがクルザンドに姿を現したのは、二年も経ったある日。
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可哀相なヴァーツラフ兄様のお話でした。
傷心の妹を見守る兄はどんなに辛いことでしょうね。
妹が辛かった分、兄もとても辛かったでしょう。
それも、いなくなったのは自分の副官で十数年もの
間一緒に仕事をしてきた間柄。
彼もきっと悲しかった事でしょう。
兄である分それが出せなくて、本当に苦しかったでしょうね。
次は二年経った兄と妹の再会話です。
2006/04/08
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